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なぜリトル・リチャードは牧師になり、そして再びロックンロールの世界に戻ってきたのか

2023.05.08

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「リチャードはロックンロールの偉大なる“キング”の1人だ」(ポール・マッカートニー)


ロックンロールを語る上で欠かすことのできない存在、リトル・リチャード。
暴走機関車のごとく激しい熱量を放ち続け、代名詞ともいえる裏声を使ったシャウトは聞くものを圧倒する。
その影響力は絶大で、ビートルズやストーンズをはじめ影響を受けたアーティストは枚挙にいとまがない。

本名、リチャード・ウェイン・ペニマンがジョージア州メイコンに生まれたのは、1932年12月5日。背が低くて痩せていたため家族からは“リル・リチャード”と呼ばれていた。
父は牧師でありながらナイトクラブの経営者で、禁酒法時代には違法でウイスキーも売っていたという、聖と俗の両方を併せ持ったような人物だった。この傾向は息子のリチャードにも受け継がれ、のちに聖と俗の狭間で悩まされることとなる。

子どもの頃から教会でゴスペルを歌っていたリチャードだが、その頃からシャウトを身につけており、「ウォー・ホーク」(戦場の鷹)の異名を持っていた。
14歳のときには、その歌唱力を認められて旅一座で歌うようになり、1951年にはレコード・デビューを果たす。
そして1955年、意味不明な叫び(ドラムの音を口で表現したものと言われている)とともに始まる「トゥッティ・フルッティ」がR&Bチャート2位となり、ここからリトル・リチャードの快進撃が始まるのだった。


ワンバッパ・ルマーップ・ランッバンッバン
トゥッティ・フルッティ オー ルッティ



リトル・リチャードは「ロング・トール・サリー」や「ルシール」など次々とヒット曲を放ち、エルヴィスなどと並んでロックンロールの黄金期を彩る存在となった。

「初めて買ったレコードは、リトル・リチャードの『ロング・トール・サリー』だったと思う。すばらしいレコードだ。その思いは今でも変わらない」(キース・リチャーズ)



ところが1957年の10月、シドニーでのコンサート中に突然引退を宣言する。

「もうやりきった。ショウ・ビジネスを離れて神のもとへと戻る」


当然のことながらバンドメンバーやスタッフは、リチャードを思いとどまらせようと説得したが、その意思は固かった。

リチャードによればその夜ロシアが人工衛星スプートニクを打ち上げたというニュースが入り、スタジアムのはるか上空に巨大な火の球があるかのような恐怖を感じたという。また、オーストラリアへと向かう飛行機の中では、翼のエンジンから火が出ているのを見て、飛行機が燃えているのではないかと思ったそうだ。
それらはいずれも思い過ごし、あるいは勘違いだったが、いつ自分が死んでもおかしくない、世界が終わってしまってもおかしくないと感じたリチャードは、神に祈らずにはいられなかったのだろう。

残っていたレコーディングやコンサートの仕事を片付けると神学を学ぶため、翌1958年1月27日にアラバマ州のオークウッド大学に入学する。
それはリトル・リチャードがロックンロールの世界を去った瞬間だった。

その後、父と同じく牧師となったリチャードは、ゴスペルのレコードをリリースするなど音楽活動を再開したが、ロックンロールは悪魔の音楽だとして頑なに歌わなかった。

しかし、ロックンロールはリトル・リチャードを逃さなかった。
それは1962年、ゴスペル・ツアーでサム・クックとともにイギリスの地を訪れたときのことだ。

その初日の1stステージはサム・クックが間に合わなかったため、リトル・リチャードによるソロのコンサートとなった。
リチャードがゴスペルを歌っている間、会場は落ち着いた雰囲気に包まれていた。
それもそのはず、観客が知っていたのはロックンロールを歌うリトル・リチャードだったからだ。
ゴスペルに不満を感じながらも偉大なミュージシャンに敬意を払い、おとなしく聴くしかなかったのだろう。

続く2ndステージ、サム・クックが登場すると会場は熱狂に包まれた。
その温度差に対抗心を燃やしたリチャードは、封印していたロックンロールの解禁を決断する。
サムの出番が終わり、続いてステージへと上がったリチャードは「ロング・トール・サリー」など往年のヒット・ナンバーを歌った。
すると1stステージとは打って変わって会場からは割れんばかりの歓声が上がるのだった。

ロックンロールを復活させたリトル・リチャードのステージは各地で大盛況となった。
その情報を聞きつけ、自分が担当しているバンドのバンドに出演してほしいとオファーを出したのが、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインだ。
コンサートでビートルズの演奏を聴いたリチャードは、彼らの音楽を賞賛した。

「すごいエネルギーだ。最高だね。白人の音楽とは思えない。ほんものの黒人音楽だよ」


海を超えたイギリスで若者たちに自分の音楽が受け継がれていることを知ったリトル・リチャードは、再びロックンロールの世界へと舞い戻るのだった。




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