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TAP the ERA 1989-2019

J-POPという言葉と共にMr.Childrenは成長していった➀ 〜「CROSS ROAD」で見せた日本の新しいポップスの可能性〜

2018.06.15

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J-POPという言葉が生まれたのは1988年の末だと言われている。
当時開局したばかりのJ-WAVEが洋楽の影響を受けた日本のポップスや、洋楽と肩を並べられる楽曲を総称する際に用いられたのが最初だった。

最初は局内のみで使われていただけだったが1989年に「J-POP・クラシックス」という番組がオンエアされて以降、だんだんと一般の人々にもJ-POPという言葉が認知されていく。

その言葉と同じ1988年末に誕生したMr.Childrenは、まさに日本語のポップスの先人たちに憧れて活動を始めて、「J-POP」と共に成長していったバンドである。

Mr.Childrenのフロントマン、桜井和寿が音楽に目覚めたのは中学生の頃だ。
山形の親戚の家で浜田省吾と甲斐バンドのレコードを聴いて、その歌の力強さやメロディに一瞬で心を奪われたという。



そうして音楽にのめり込み、ラジオ番組「NHKサウンドストリート」をかじりついて聴くようになる。
サザンオースターズや井上陽水のレコードにも影響を受けて、桜井はいつしか彼らのようなミュージシャンになることに憧れた。

高校になると同級生の田原と中川とともに、桜井は「Beatnik」を結成する。そしてプロ志向だった彼らは、いきなりオリジナル曲を作り始めた。

ソングライターを目指していた彼が作ろうとしたのは、憧れていたミュージシャンたちのような、海外の音楽のエッセンスが入ったポップ・ミュージックである。

桜井はそれまで、洋楽をあまり聴くことがなかった。
どこかに「洋楽は人生が楽しい人が聴くものだ」と思っていて、そのために海外のポップスを遠ざけていたのだ。

しかしある日、ギターの田原からU2を勧められて考えが変わった。
ポップでありながら影のあるU2のメロディと、力強いロックサウンドに強く惹かれたのである。



これが桜井にとって、二度目の音楽の目覚めだった。
洋楽のロックを聴きあさるようになってからは、いつしか日本語を英語のように響かせる歌い方を目指し始めた。

高校を卒業した1988年の年末に、バンド名を「Mr.Children」にしたことを契機に4人は渋谷や新宿のライヴハウスを中心に、プロへの道を模索して活動を行っていった。
その間も自分たちのポップスを確立すべく、彼らは様々な音楽を参考にしながら変化を遂げている。

プロデューサーになる小林武史に出会ったのは、活動を始めてから3年が経とうとしていた頃だった。

小林は当時、サザンオールスターズのプロデューサーとして知られ始めてきて、「みんなのうた」や「真夏の果実」をヒットさせていた。
彼は洗練されたアレンジとプロデュースワークで、桑田の日本語を崩して歌う歌唱法を存分に引き出すことで、新しい日本のポップスを作り出そうとしていた人物だった。

小林はMr.Childrenの持つセンスと桜井の歌に注目し、プロデュースを買って出たのだった。
彼らの演奏や楽曲に厳しいダメ出しをしながら、小林は若い4人の才能を最大限に引き出していく術を知っていた。
それに答えるようにMr.Childrenの全員が、小林のノウハウを吸収しながら楽曲を作り上げていった。

そうして完成した『Everthing』は、日本語を英語のように崩しながら歌う桜井の歌と、それを支える演奏が光る楽曲が並んだ。
このデビューアルバムこそは、日本の音楽も海外の音楽も貪欲に吸収してきたMr.Childrenだからこそ作れた、「J-POPの原型」とも呼ぶべきものだった。



デビュー直後は大きな反響はなかったものの、作品を作り続けるうちに彼らのポップスセンスは磨かれていき、Mr.Childrenという名前は徐々に多くの人々に知れていく。

そしてデビューから1年半経った1993年、彼らが続けた試みは「CROSS ROAD」という楽曲で実を結ぶ。


lookin’ for love 今建ち並ぶ 街の中で口ずさむ
「ticket to ride」 あきれるくらい君へのメロディー


「love」、「並ぶ」、「さむ」と「to ride」、「くらい」。この言葉の韻からもわかるように、歌い出しから桜井の歌は英語と日本語の持つリズムを等しく響かせている。

母音を強調するような歌唱法とメロディは、まさに彼が目指していた「英語のように日本語を歌う」ということの完成形であった。
それに加えて、イギリスのポップスから影響を受けた郷愁を誘うようなアレンジが、人々に新しさと懐かしさの両方を感じさせた。

結果的にこの曲はロングセラーとなり、1年以上チャートにランクインし続けて100万枚以上のセールスを記録した。

奇しくもその頃には「J-POP」という呼称はも、世の中で普通に使われるようになっていた。
J-POPの誕生と共に活動を始めたMr.Childrenは、J-POPという言葉と共に成長して大きくブレイクすることになったといえる。

(文・吉田ボブ)

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