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追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー

2019.03.21

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RCサクセションは1979年の夏に、3年ぶりのシングル「STEP!」を発売した。
しかし、プロモーションに力を入れた割に、レコードはまったく売れずに終わってしまった。

だからその時点の彼らは、「以前にフォークソングを唄っていたグループが、パンク・バンドみたいになった」という表層の変化だけで受け取られた。

忌野清志郎を手がけたい一心でキティ・レコードに入社した森川欣信は、当時のもどかしい思いや口惜しさを、ディレクターの立場からこのように述べていた。

たとえ年齢とかにギャップがあったって、そんなこと問題にならないサイキックなパワーを彼らを観るたびに感じた。でもRCはずいぶん不当な扱いを受けていた。79年の夏は、いろんなオムニバス・コンサートに出演したけど、それこそ無名の新人バンド以下の扱いだった。楽屋で誰かが、「RCはロートル・バンド」だって言った。そんなふうにのさばってる、わけのわからないポッと出野郎の隅にRCは追いやられてた。僕は「この野郎」って思って、立ち上がろうとしたら、清志郎が涼しい顔で、「ロートルって何の意味?」って僕に尋ねた。


そんなRCサクセションが多くのロック・リスナーに発見されることになったのは、内田裕也がプロデュースする年末恒例のロックイベント、「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に出演したからである。

197912月31日の浅草国際劇場。
この年で7年目を迎えた「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」には、「80年への狙撃!! 紅白だけが祭りじゃない!!」というサブタイトルがついていた。

チケットはSOLD OUT、観客は超満員となった。
座席のキャパシティは3800人強だが、立ち見を加えると4000人以上は入っていた。
出演者は以下の顔ぶれだった。

ダウンタウンブギウギバンド
クリエイション
ジョー山中&フレンズ
桑名正博 & Tear Drops
柳ジョ−ジ&レイニーウッド
ジョニー大倉 & VACATION CLUB
近田春夫 & BEEF
Birds Eye View (森園勝敏グループ)
アン・ルイス&ブラッドショット
山本翔 with 一風堂
力也&クロコダイル
BORO
連続射殺魔
新井英一
ダディ竹千代&東京おとぼけCATS
ヒカシュー
RCサクセション
シーナ&ロケッツ
P-MODEL
ハウンドドッグ
パーティ
MOON DANCER
かまやつひろし
内海利勝
スマイラー
内田裕也&1815 Super R.R.B
アイ高野


内田裕也人脈ともいえる錚々たるメンバーが揃ったリストに入ると、RCサクセションは全くといっていいくらいに無名だった。

だが彼らはここで鬼気迫るライブ・パフォーマンスを披露し、観客に強烈な印象を残したことで、その後は大会場をものともしなくなっていく。

当日の会場に来ていた若者が書いてくれた、臨場感に満ちた文章を紹介したい。

22時過ぎにRCサクセション登場! この日のライブは凄かった!凄すぎた! かつて体験したことのない迫力! 清志郎の目、声、動きの全てにロックが宿り、それがメンバーに呼応して、テンポがいつもよりアップに感じる。1曲目の『よォーこそ』のチャボのMCから煽る、煽る、煽りまくる! 清志郎が走って出てきて、大きな弧を描くジャンプとともに、若いオーディエンスがステージに押し寄せる!


「この世界を変えてやる!」という忌野清志郎の歌とパフォーマンスとともに、RCサクセションは気合と気迫がこもったロックンロール・ショーを、大観衆を相手に挑発的に展開していった。

「スローバラード」でロック少女たちのハートのドアを叩き、「ステップ」で若い奴らが踊りだす! ロックもパンクもテクノもニューウェーブも関係なく、若い奴らがダンスダンスダンス! 日本でそんな光景に出会ったのははじめてだったので、僕たちティーンエイジャーは戸惑っていた。


最後の曲になったところで、忌野清志郎が力強くこう言った。

「もう僕たち最後の曲になっちゃいました!OK!チャボ!」

ギターのリフが印象的な新曲「雨あがりの夜空に」のイントロが始まった。まだレコードが発売前だったので、ほとんど誰も知らない曲だった。しかし、バンドの勢いは削がれなかった。

どこからのぼってきたのか?警備員の間をすり抜けてステージ上に若い女の子があがり、曲にあわせて踊りだす。それを見つけた清志郎がなんとその女の子にキスをした! ブッ飛んだ! モラルが吹き飛んだ! 気がついたら僕も友達も清志郎のように手を振り回し、ジャンプしていた。


迫力のライブが終了した後、楽屋にやって来た内田裕也からメンバー全員に「お年玉」として、2万円が手渡されたという。
その時、忌野清志郎は2万円のうちの1万円を、「今年とても世話になったから」という言葉を添えて、ディレクターの森川にプレゼントした。

売れる前だったからみんなお金には不自由していたし、できればそのまま2万円もらいたいのが本音だっただろう。
しかし、忌野清志郎は自分たちのために1年間、一生懸命に動いてくれた森川に“半分”の1万円を分けたのである。

忌野清志郎とともに世の中の無理解と戦ってきた森川に、その意味がわからないわけがない。
年が明けてから帰宅した森川は、その1万円を額に入れて自分の部屋に飾った。
その横にはビートルズのレコードと発売前のRCサクセション「雨あがりの夜空に」のテープがあった。

RCサクセションが伝説の「屋根裏」4日間ライブを成功させて、大きくブレイクするのはそれからわずか19日後のことになる。
<参照コラム>最後となった「屋根裏」4日間連続ライブから始まったRCサクセションの快進撃

当日の会場に来ていた若者は、その後レコード会社に入社して、音楽業界で活躍するようになってから筆者と知り合い、現在に至っている。

2年前、内田裕也さんに取材でお会いした際、この時の話をしたら笑顔で喜んでくれました。そして清志郎を回想して、このようなことを語ってくれたんです。
「ある時、忌野にばったり会った時に“裕也さん、いくつになりましたか?”って聞かれたんだよ。オレが“52になったよ”と言ったら、あいつはニッコリ笑って“僕、40になりました”って言ったんだよ。あの時の忌野の笑顔が忘れられないよ」


ちなみに浅草国際劇場の楽屋で2万円をもらった忌野清志郎は28歳、内田裕也は40歳だった。

(注)文中に引用した森川欣信氏の言葉は、連野城太郎著「GOTTA!忌野清志郎」(角川文庫)からの引用です。

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