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これが本当の80年代サウンド⑦〜忘れられた洋楽ヒットにもう一度スポットライトを

2023.01.28

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これが本当の80年代洋楽ヒット・第7回


80年代の洋楽をまとめたネットコンテンツやラジオ番組や雑誌には、いつもお決まりのアーティストやヒット曲だけがラインナップされている。それは同時代のコンピレーションがリリースされても同じこと。今回の企画はそんなありきたりの選曲ではなく、聴くだけで(観るだけで)「ああ! いた!! あった!!」と歓喜するようなアーティストやヒット曲を思いつくままに集めてみた。題して「これが本当の80年代サウンド」。そろそろマドンナやマイケル・ジャクソンの呪縛から解放されよう。ドライブや通勤タイム、懐かしの音源探しに活躍すること間違いなし。(選曲/中野充浩)

グレッグ・キーン・バンド「Jeopardy」(1983年・全米2位)
忘れ去られたヒット曲の筆頭格の一つ。マイケル・ジャクソンの「Beat It」に阻まれ、チャートのトップは獲れなかったグレッグ・キーン最大のヒット。1976年にデビュー。本作や『RockihnRoll』などアルバムタイトルに自身の名前「Kihn」が入る遊び心も面白かった。当時、日本のタワーレコードでも入荷数が少なく、アーティストコーナーには
数枚しかなかったことを思い出す。


ボーイ・ミーツ・ガール「Waiting for a Star to Fall」(1988年・全米5位)
シアトル出身の夫婦、ジョージ・メリルとシャノン・ルビカムによるポップデュオ。ホイットニー・ヒューストンのナンバーワン・ヒット「How Will I Know」や「I Wanna Dance with Somebody (Who Loves Me)」のソングライターとして注目された。アルバム『Reel Life』からのこの曲がヒット。80年代らしいムードが漂う爽やかな名曲。


ミック・ジャガー&デヴィッド・ボウイ「Dancing in the Street」(1985年・全米7位)
こちらも完全に忘れ去られたヒット。相棒キース・リチャーズによれば、1983年の『Undercover』あたりから自分の才能を疑い始めたというミック・ジャガー。MTVの登場などによるヴィジュアル性に富み、シンセサイザーを多用する新世代のアーティストが続々登場する中、巨大になりすぎた自らのローリング・ストーンズにも最新を強要するようになり、キースとの溝が深まっていく。当時、ミックがライバルとして最も意識したのが、『Let’s Dance』で時代に合わせてキャリア最大のヒットを飛ばした同世代のデヴィッド・ボウイ。そんな二人が80年代半ばに顔を合わせたのは必然だった。なお、ミックは同時期に人気絶頂だったマイケル・ジャクソン在籍のジャクソンズとも共演。「State of Shock」のヒットがある。


マーティ・バリン「Hearts」(1981年・全米8位)
1960年代後半というロック黄金期に大きな足跡を残したジェファーソン・エアプレインの創設メンバーであり、その後70年代にはジェファーソン・スターシップとしての中心人物として名作を立て続けに発表したバリン。バンド脱退後の初ソロ作からAOR臭の強いバラードナンバーがヒットした。都会的な風景が思い浮ぶこの曲は日本のシティポップにも影響大。


ロビー・ネヴィル「C’est la Vie」(1986年・全米2位)
80年代後半にその名を刻んだポップアーティスト。ポインター・シスターズやEW&Fに楽曲を提供していたソングライターが、個性的なダンスポップを作り上げた。デビューアルバムからこの曲のほか「Dominoes」(14位)「Wot’s It to Ya」(10位)がヒット。今聴くとクオリティの高さに驚く。


メリー・ジェーン・ガールズ「In My House」(1985年・全米7位)
R&Bシーンからも一曲。80年代前半、マイケル・ジャクソンのライバルはプリンスではなくリック・ジェームスだった。そのスーパースターがプロデュースしたのがこの女性グループ。セカンドからこの曲がポップチャートとR&Bチャートでヒット。これぞ80年代サウンド。エレクトリック・ファンクの傑作。


ボニー・タイラー「Total Eclipse of the Heart」(1983年・全米1位)
ここから3曲はジム・スタインマンというプロデューサー/ソングライターによる代表作が続く。「ドラマチック・バラード」「パワー・バラード」の権威として、80年代前半に大ヒットを連発。1977年にミートローフの大ベストセラー・コンセプトアルバム『地獄のロック・ライダー』(Bat Out of Hell)の全曲を作詞作曲し、1983年にはボニー・タイラーが歌ったこの曲(邦題「愛の翳り」)がナンバーワン・ヒットを記録する。このコンビは翌年にも「Holding Out For A Hero」を送り出す。日本ではこちらの方が馴染み深い。


エア・サプライ「Making Love Out of Nothing at All」(1983年・全米2位)
海の風景を感じさせるその爽やかな曲調で日本でも人気だったエア・サプライ。83年にリリースしたベスト盤用に収録されて大ヒットしたのがこの曲(邦題「渚の誓い」。いいタイトル)。それまでとは違ってドラマチックなバラードに昇華した。仕掛け人はもちろんジム・スタインマン。個人的にはこの曲が一番素晴らしいと思う。1983年は紛れもなくはスタインマンの年だった。ちなみに後年、セリーヌ・ディオンがヒットさせた「It’s All Coming Back to Me Now」も彼の曲だ。


ファイヤー・インク「Tonight Is What It Means to Be Young」(1984年)
当時、日本のティーンエイジャーの間でもカルト化してヒットした映画『ストリート・オブ・ファイヤー』のサントラに収録された一曲)。映画のクライマックスでダイアン・レイン(実際は別のシンガーが歌っている)が去りゆく恋人(マイケル・パレ)に捧げたドラマチックなロックバラード(邦題「今夜は青春」)。スタインマンの楽曲はとにかく徐々に盛り上がっていくのが最大の特徴。だからちょっと長い。80年代の忘れられたヒット曲。ジム・スタインマンは再評価の価値ありだ。








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【執筆者の紹介】
■中野充浩のプロフィール
https://www.wildflowers.jp/profile/
http://www.tapthepop.net/author/nakano
■仕事の依頼・相談、取材・出演に関するお問い合わせ
https://www.wildflowers.jp/contact/

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