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これが本当の80年代サウンド⑭〜忘れられた洋楽ヒットにもう一度スポットライトを

2023.02.25

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これが本当の80年代洋楽ヒット・第14回


80年代の洋楽をまとめたネットコンテンツやラジオ番組や雑誌には、いつもお決まりのアーティストやヒット曲だけがラインナップされている。それは同時代のコンピレーションがリリースされても同じこと。今回の企画はそんなありきたりの選曲ではなく、聴くだけで(観るだけで)「ああ! いた!! あった!!」と歓喜するようなアーティストやヒット曲を思いつくままに集めてみた。題して「これが本当の80年代サウンド」。そろそろマドンナやマイケル・ジャクソンの呪縛から解放されよう。ドライブや通勤タイム、懐かしの音源探しに活躍すること間違いなし。(選曲/中野充浩)

リチャード・マークス「Don’t Mean Nothing」(1987年/全米3位)
1987年からわずか3年の間に、3つのナンバーワン・ヒットと4曲のトップ5ヒットを放ったリチャード・マークス。ライオネル・リッチーやケニー・ロジャースとの仕事で鍛え上げ、満を持してのデビューだった。当時はAORファンからも支持が高く、バラード歌手として日本の女性からも人気があった。94年の「Now and Forever」が最後のヒット。その後、ソングライターやプロデューサーとして活躍の場を移すが、自身のアルバムもコンスタントにリリースし続ける。


ジュース・ニュートン「The Sweetest Thing (I’ve Ever Known)」(1981年/全米7位)
70年代半ばにジュース・ニュートン&シルヴァー・シュプールとしてデビュー。しばらくは不遇の時代を送ったが、1981年に「Angel of the Morning」(4位)、「Queen of Hearts」(2位)、そしてこの曲が立て続けにカントリーチャートとポップチャートでクロスオーバーする特大ヒットを記録。一躍注目を集めた。メランコリックな歌声が活かされた名曲だ。


ネイキッド・アイズ「Always Something There to Remind Me」(1983年/全米8位)
この「僕はこんなに」と続く「プロミセス・プロミセス」が連続してアメリカでヒットした彼らは、イギリス出身のシンセポップデュオ。いわゆる「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」の波に乗って束の間の人気を博した。80年代前半から半ばは、この種のUK/ニュー・ウェイヴ系バンドがチャートを駆け上がることが珍しくなく、雑誌やFM、MTVなどでどれだけ情報を先取りするか、競い合うのも楽しかった時代だ。


ニュー・シューズ「I Can’t Wait」(1986年/全米3位)
ジョン・スミスとヴァレリー・デイ夫婦によるダンスポップユニット。当時のダンスフロアには欠かせない一曲。続く「Point of No Return」もスマッシュヒットした。この企画では時々このニュー・シューズのようなダンスポップの一発屋を紹介しているが、彼らの音は時代を象徴することが多く、それがかえって甘く切なく、聴く者の心を溶かしてくれるからだ。


キャメオ「Word Up!」(1986年/全米6位)
Pファンクの系譜にあった大所帯ファンクバンドが徐々に少人数になり、遂にブラック・ロック路線で大ヒットを飛ばしたのが1986年。中心人物ラリー・ブラックモンのルックスも印象的だが、この曲も一度耳にしたらヤミツキ必至。しかし、80年代後半よりニュージャックスウィングやヒップホップがメインストリームになるにつれ、彼らがチャートを賑わせることはなくなってしまった。


アトランティック・スター「Always」(1987年/全米1位)
日本では後に結婚式ソングとして有名になるこの曲も、当時は洋楽ファンやブラックミュージック好きのためのとっておきの名曲だった。1978年にルイス3兄弟を中心にデビュー。メンバーチェンジを経て、紅一点のバーバラ・ウェザースがヴォーカルに定着すると、1985年に「Secret Lovers」(全米3位)がヒット。しかし今聴いてもうっとりするような魅力を持ったナンバーだ。


ドナ・サマー「This Time I Know It’s for Real」(1989年/全米7位)
「70年代のディスコ・クイーン」としてのイメージが強いドナ・サマーだが、80年代の終わりに英国のストック・エイトケン・ウォーターマンをプロデュースに迎えてリリースしたこの曲は劇的だった。いわゆるユーロビートなのだが、ドナが歌うだけでプラスαのニュー・ダンス・ミュージックへと昇華するのだ。この領域に入れるダンス系アーティストは彼女しかいない。2012年に63歳で亡くなった。


シェール&ピーター・セテラ「After All」(1989年/全米6位)
もう一人のクイーンを紹介しておこう。シェールは60年代から今も活躍する超人だが、1987年当時は「I Found Someone」(全米10位)で久々のヒットを飛ばして音楽シーンにカムバック。デズモンド・チャイルド、ダイアン・ウォーレン、マイケル・ボルトン、ジョン・ボン・ジョヴィ&リッチー・サンボラらを起用して80年代にも新たなファン層を広めた。特に89年のアルバム『Heart of Stone』からは3つのトップ10ヒットが生まれた。そのうちの一つがピーター・セテラとデュエットしたこの名曲だ。








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【執筆者の紹介】
■中野充浩のプロフィール
https://www.wildflowers.jp/profile/
http://www.tapthepop.net/author/nakano
■仕事の依頼・相談、取材・出演に関するお問い合わせ
https://www.wildflowers.jp/contact/

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