季節(いま)の歌

枯葉─後編〜海を渡ってジャンルの壁を超えたスタンダード〜

2015.12.20

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前編に引き続き<季節(いま)の歌>では、冬の名曲「枯葉」をご紹介します。
──フランスで生まれた「Les Feuilles mortes(枯葉)」が、海を渡ってアメリカに持ちこまれたのは1949年のことだった。
フランス語の歌詞ではアメリカの大衆相手に売れるはずもなく…当時アメリカでこの曲を売り出そうとしたキャピトルレコードの方針で、英語歌詞が付けられた。
タイトルは「Autumn Leaves(枯葉)」に変更されて発表された。
この英語詞を作詞したのは、キャピトルレコードの創立者でもあったジョニー・マーサーである。
彼はそれ以前から「P・S・アイ・ラブ・ユー」「ワン・フォー・マイ・ベイビー」「ザッツ・オールド・ブラック・マジック」など数々のヒット曲を作詞し、後にはヘンリー・マンシーニとのコンビで「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」の作詞も手がけた作詞家である。

The falling leaves drift by the window
窓辺に散り積もる落ち葉たち
The autumn leaves of red and gold
赤と黄金色に染まったその枯れ葉を眺めながら
I see your lips, the summer kisses
あなたの唇、あの夏の日の口づけを思い出す
The sun-burned hands I used to hold
そしてかつてつないだ陽に灼けたあなたの手を

Since you went away
あなたが去ってからというもの
The days grow long
時が経つのが長く感じるわ
And soon I’ll hear
もうじき聴き慣れた
Old winter’s song
冬の歌が流れ出すというのに
But I miss you most of all my darling
何よりもあなたが恋しい
When autumn leaves start to fall
枯れ葉が落ち始めるこの季節は


ジョニー・マーサーは、歌の前説となるヴァース(序奏部)にあえて歌詞を付けず、後半のコーラス部分のみに言葉を乗せた英語詞を完成させた。
その結果、アメリカではこの曲のヴァース部分が(たとえインストゥルメンタルであっても)省略されて流布してしまい、誰もヴァースの存在を知らないという状況になってしまった。
翌1950年、最初にこの英語詞を歌ったのは俳優としても活躍していたビング・クロスビーだった。
以後、1952年のナット・キング・コールのバージョンなどボーカルを中心に何種かのバージョンが送り出されたが期待するほどのヒットにはいたらなかったという。
この楽曲がアメリカで本格的に広まるきっかけとなったのは、意外にもポピュラーピアニストのロジャー・ウィリアムズによるインストゥルメンタルだった。
彼のバージョンは1955年に全米ヒットチャートで4週連続第1位を達成し大ヒットとなった。
それをきっかけに「Autumn Leaves(枯葉)」は、アメリカのポピュラー音楽界におけるスタンダードナンバーとして広く歌われるようになり、フランク・シナトラをはじめとする多くの有名歌手のレパートリーとなった。



ジャズの分野では1952年にスタン・ゲッツが録音したのが先駆だったが、ポピュラー界でスタンダードとなったことと、コーラス部分の独特のコード進行がアドリブの素材として好まれたことから、1950年代後半以降、多くのジャズメンによって取り上げられた。





日本で「枯葉」が知られるようになったのは、戦後の昭和20年代後半である。
戦後起こったシャンソンブームの立役者である高英男が、1951年(昭和26年)にパリへ留学した際にこの歌を聴き、親交の深かった歌手・淡谷のり子へ「この歌は貴女にぴったり」と楽譜等をフランスから日本へ送った。
この譜面を見て、気に入った淡谷は舞台で披露し、レコードにも録音した。
翌1952年(昭和27年)、帰国した高も、早速リサイタルを開いて中原淳一の訳詞でこの歌を披露した。
「枯葉」は高のデビュー盤としてキングレコードから発売され、当時では異例の10万枚を超える売り上げを記録した。
その他、越路吹雪(岩谷時子の訳詞)、ペギー葉山(音羽たかしの訳詞)などが持ち歌にしたことも影響し、現在は日本のシャンソン歌手やジャズ歌手ならば必ず一度はそのメロディーを唇にのせる名曲となった。

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