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二人の歌・後編〜タミー・テレルの死、そして影武者疑惑〜

2014.10.26

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モータウンレコードのベリー・ゴーディが自身の半生を描いたミュージカル劇に1億ドル出資か(RO69 アールオーロックより)
関係者の話では、ベリーがこれまで何度も浮上してきたマーヴィン・ゲイの伝記映画の企画を巧妙に潰してきたのはこのプロジェクトのためなのだとのことだ。かつてベリーの妹アンナと結婚もしていたモータウン最大のスターのひとりだったマーヴィンは、泥沼の離婚劇を経験し、さらに1982年にエピックへと移籍するまで、さまざまな手痛い仕打ちをモータウンから受けてきたとされている。

二人の歌・前編〜ソウルミュージック最高峰のデュエット〜(TAP the NEWSより)
当初、二人は他のデュエット歌手にならって別々の録音ブースでレコーディングをしようと試みていたが、この「Ain’t No Mountain High Enough」を歌う際に、思い切って同じ部屋で二人が並んで歌うスタイルに挑戦した。

♪「Ain’t No Mountain High Enough」/マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル


My love is alive
Way down in my heart
Although we are miles apart

私の愛は永遠よ
心から愛しているわ
どんなに私達が離れていても

If you ever need a helping hand
I’ll be there on the double
As fast as I can

もしも助けが必要なら
僕はできるだけ早く
君の元に飛んでいく

Ain’t no mountain high enough
Ain’t no valley low enough
Ain’t no river wide enough
To keep me from getting to you, babe

二人を引き離す高い山なんてない
どんなに深い谷や広い河でも
僕らは飛び越えて会うことができるんだ



それは、二人がデュオとしての活動をスタートして間もない頃の出来事だった。
ヴァージニア州の大学で行われたイベントのステージに登場し、息の合ったパフォーマンスで客席を沸かせていたマーヴィンとテレル。
コンサートのハイライトで披露した新曲のソウルバラード「Your Precious Love」を歌い終わった瞬間、タミーは失神するようにマーヴィンの腕の中に倒れ込んでしまった。
当時、まだ21歳だった彼女は病院に担ぎ込まれた後、脳腫瘍と診断された。
その後、度重なる大手術や苦しい闘病生活にも耐え、マーヴィンとの曲を収録するために、命がけでスタジオに通ったという。
そんな彼女の気丈な振る舞いを見て、マーヴィンは心を動かされていく。
そして…1970年3月16日、タミーは脳梗塞を発症させ24歳でこの世を去る。
それは人気デュオとして絶頂期を迎えていたマーヴィン・ゲイ&タミー・テレル名義での3rdアルバムをレコーディングしている最中の出来事だった。
この突然の訃報にモータウンレコードは、タミーの死を公表せず、彼女の歌入れが終わっていない曲に影武者を立てたと云われている。
抜擢されたのはヴァレリー・シンプソン
彼女は夫のニコラス・アシュフォードと共に“アシュフォード&シンプソン”としてモータウン専属のソングライティングチームを組んで、この「Ain’t no Mountain High Enough」をはじめとするマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルが歌った数々のヒット曲を作ってきた女性である。


そんな中、マーヴィンは彼女の死に大きなショックを受け…対人恐怖症に陥り、レコーディングを続けさせていたモータウンへの不信感も募り、薬物依存への道を辿ってゆく…。
タミーの死から数か月後、同じモータウンに所属していたダイアナ・ロスがこの「Ain’t No Mountain High Enough」を大胆なアレンジで歌いNo.1ヒットに導いた。

♪「Ain’t No Mountain High Enough」/ ダイアナ・ロス


翌年の1971年、数ヶ月に渡って音楽活動から遠ざかっていたマーヴィンは、後に自身の代名詞ともなった「What’s Going On」で復活を果たす。
その名曲は、次世代のスティーヴィー・ワンダー等が切り拓いていくこととなる“ニューソウル”の起点ともなった。
それから数年後…マーヴィンは自身の自叙伝を手がけた伝記作家、デヴィッド・リッツに衝撃的な告白をした。

タミーとの最後のアルバムに収められている曲のうち、いくつかは病気で歌えない彼女に代わって(曲を作った)ヴァレリー・シンプソンが歌ったんだ。
僕はずっと罪の意識にさいなまれていたんだ。


タミー・テレルの名前でクレジットされている曲なのに、歌っているのはタミー本人ではないという仰天の事実に世間は驚かされた。
この自叙伝が出版されたことにより“影武者疑惑”は定説となってしまった。
だが、その説をさらに覆す証言もある。
それは影武者をつとめたと言われているヴァレリー・シンプソン本人が、タミー・テレルを特集したドキュメンタリー番組でこう語ったのだ。

「リハーサルでマーヴィンと合わせるところまでは私が代役をしました。
でも本番では本当にタミーが歌ったのよ。」





タミーの死の直前…レコーディングはどこまで進んでいたのか?
彼女の遺作となったアルバムで、どの曲を影武者が歌ったのか?
または全て本人が歌ったのか?
親類・友人を始め、モータウン関係者、音楽ジャーナリスト等々…その後、事の真相を明かす者はいなかった。


ソウルミュージック史上において最高峰のデュエットを聴かせてくれたマーヴィン・ゲイとタミー・テレル。
マーヴィンはキュートなタミーに恋愛感情を抱いていたが、あいにくタミーの心はマーヴィンになかったという。
しかし、スタジオ内で声を張り上げ、歌の中で恋人同士を演じている時、二人の心は通じ合い“本物の愛”を語ることができた。

マーヴィンはタミーの死後も、彼女と一緒に歌った曲をライブで度々取り上げた。
ステージ上の彼は決まってこんな風に紹介したという。

「僕が心から愛していた女性と歌った曲を…」

また、ある年のロンドン公演でいつものように客席に向かって亡くなったタミーの紹介をして曲に入ろうとすると、大きな拍手と歓声が沸き起こり彼はとても喜んだという。

「みんな、彼女のことが好きなんだね。」

手に入れたくても入れることができなかった愛する女性を、マーヴィンは生涯忘れることはなかった…。
永遠の愛を誓う二人の歌声は、切なくも至上のものとして心に響いてくる。

♪「Ain’t No Mountain High Enough」/ ニコラス・アシュフォード&ヴァレリー・ シンプソン

時は流れ…2009年、この楽曲を創作したアシュフォード&シンプソンが来日を果たし、ブルーノート東京で公演を行った。
そのステージで、彼らがマーヴィンとタミーのメドレーを歌い始めた時に、客席からひときわ大きな歓声が上がった。
マーヴィンが自身のステージにおいて、タミーのために贈られる歓声や拍手に心から喜んだように…影武者疑惑の当人であるヴァレリー・シンプソンもまた、その歓声を心から嬉しく思って日本の観客にこう言ったという。

「みんな、二人のことが好きなのね?」



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♪「Ain’t No Mountain High Enough」/映画『天使にラブソング2』のエンディングで使用されているバージョンで、若者たちへの“人生の応援歌”として、楽しく、元気づけられるアレンジとなっている


♪「ライジング・ハート」/福原美穂(「Ain’t No Moutain High Enough」をアレンジした楽曲で”2013年コカ・コーラShare a Coke and a Song”キャンペーンソング)

今週も前編に引き続き「あなたにとって最高峰のデュエット曲」を紹介して下さい♪
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マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル『United』

マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル『United』

(1967/モータウン)

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