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ジェリー・ウェクスラーに導かれてゴスペル魂を取り戻したアレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」

2023.08.16

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私の魂が遺失物取扱所にあった時
引き取りに来てくれたのはあなただった
一体私の何が悪かったのかわからなかったわ
あなたのキスが教えてくれるまで
私が何のために生きていくのか
今はもう迷わない
だって、あなたを幸せにできたら
それ以上は何もいらないから


愛する人への一途な女性の思いを綴ったこの歌詞が、アレサ・フランクリンの歌唱にかかると、愛する人に出会った喜びと感謝の歌にまで昇華される。
これこそが、彼女のゴスペル・フィーリングあふれる歌の魅力だ。


1942年3月25日に生まれたアレサ・フランクリンは、父親C.L.フランクリンが教会の牧師で、チェス・レコードから作品を発表するほどの有名なゴスペル・シンガーでもあり、アレサが6歳の時に家を出てしまった母親もまたゴスペル・シンガーだった。

母親がいなくなってからは、マヘリア・ジャクソンなどが母親代わりでもあったなど、彼女にとって音楽は子供時代から暮らしの一部だった。
8歳か9歳の頃にはすでに教会でソロを歌うようになり、その後父親の説教のピアノ伴奏もするようになった。
そして14歳で初のレコーディングも行っている。

そんなアレサが鳴り物入りでコロムビア・レコードと契約したのは1960年、彼女が18歳の時だった。
しかしセンチメンタルなポピュラー・ソングを中心にリリースするが、ヒットには恵まれないままで、歌への思いを強くしながらも、アレサは普通の主婦になりたいとさえ思うようになっていた。

コロムビアは彼女の才能を持て余し、生かすことができないまま1966年に契約を解消した。
それを知ってすかさず彼女と契約を結んだのが、14歳の初レコーディングの時から目を付けていたという、アトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーだ。

1967年1月には、南部のマッスル・ショールズのフェイム・スタジオにアレサを連れて行き、録音に及んだ。
しかし当時のアレサの夫でマネージャーでもあったテッド・ホワイトが、スタジオのミュージシャンが全員白人であったことに納得がいかず、フェイムのオーナーのリック・ホールと喧嘩のうえ、彼女をニューヨークへ連れ帰ってしまった。

それでもウェクスラーは、今度はフェイム・スタジオのミュージシャンをNYに呼び寄せ、1967年中にはアルバム『貴方だけを愛して』『アレサ・アライヴズ』『レディ・ソウル』の3作をほぼ録り終えた。

「彼女を教会へ連れ戻したのさ」と、ウェクスラーが語るとおり、彼はアレサのゴスペル・フィーリングを最大限に生かす方法を知っていたのだ。

1967年にリリースされたシングル「貴方だけを愛して」は大ヒットとなり、彼女には“クイーン・オブ・ソウル”という称号が与えられた。
そして続く「リスペクト」は、R&Bチャートのみならず、全米チャートでも1位を記録し、一躍トップスターの仲間入りを果たしたのだ。

それらに続く大ヒットシングルが、アルバム『レディ・ソウル』からのリード・シングル「ナチュラル・ウーマン」だ。
ゴフィン&キングが、2番の歌詞を導き出すのに少し苦労したと語るその恋愛の詞の内容が、偶然にもアレサの歌に対する思いと重なるのだ。

まさに“遺失物取扱所にあった私の魂(ソウル)”を救い出したのは、ジェリー・ウェクスラーに他ならないのではないだろうか。
ウェクスラーに導かれ、アレサ・フランクリンもまた自身のゴスペル魂を取り戻した。アレサの歌う「ナチュラル・ウーマン」では、まさにそのことを歌っているようにさえ聴こえてくるのだ。

(注)本コラムは2016年2月15日に初公開されました。

(前回のコラムはこちらからどうぞ。ジェリー・ウェクスラーに導かれて生まれたゴフィン&キングの「ナチュラル・ウーマン」


アレサ・フランクリン『レディ・ソウル』
ワーナーミュージック・ジャパン




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