忌野清志郎

TAP the SONG

日本でスタンダードになった忌野清志郎が歌う「デイドリーム・ビリーバー」

2017.07.11

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1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。

ビートルズのようなグループが歌うポップスをテレビ番組とを融合させて、新しいスターを作ろうとオーディションで選出された4人は、1966年8月に「恋の終列車 」をリリースしてデビュー。全米ネットワークのNBC系列で9月から30分番組の『ザ・モンキーズ・ショー』が始まると、幸先良く全米チャートの1位となった。

そこからは思惑通りにシングルが連続してヒットして、翌年には「アイム・ア・ビリーヴァー(I’m A Believer)」と「デイドリーム(Daydream Believer)」の2曲が全米ナンバーワンに輝いた。

モンキーズ デイ・ドリーム

だが番組が長引くに連れて人気が下降、モンキーズは70年代を待たずに音楽シーンから姿を消してしまう。
プロのヒットメイカーたちによって作られていた楽曲は、良質のポップスではあってもビートルズのように独創的なオリジナリティがなかった。

モンキーズの懐かしい楽曲が日本でよみがえったのは、1989年に忌野清志郎が三宅伸治らとともに結成した覆面バンド、タイマーズが「デイ・ドリーム・ビリーバー」の名でカヴァーしてからである。


原詩とはまったく異なる日本語の「デイ・ドリーム・ビリーバー」からは、なんとも言えない慈しみの気持ちや、深い愛情を感じるという声も多い。

ずっと夢を見て安心してた 
僕は Day Dream Believer
そんで 彼女はクイーン

でもそれは 遠い遠い思い出 
日が暮れて テーブルに座っても
今は彼女 写真の中で
やさしい目で 僕に微笑む  

ずっと夢を見て幸せだったな
僕は Day Dream Believer
そんで彼女はクイーン


父と母がともに実の両親ではないと知らされたのは、育ててくれた母が他界した1986年のことだったという。
清志郎は父からも、「俺は本当の父親ではない」と告げられた。

その2年後に突然、父が亡くなった。
その後で親戚のおばさんが持ってきてくれたのは、育ての母の妹にあたる実母の富貴子さんが残した遺品だった。

そこには写真や書き残した文章、短歌などがアルバムにていねいに保存されていたばかりか、彼女が吹き込んだレコードまであった。

忌野清志郎の新しく発見された手記

2014年に入ってから公表された当時のノート『ネズミに捧ぐ詩』には生みの母への思いや、遺品を目にした時の抑えきれない喜びが「HAPPY」と題して記されている。

「わーい、ぼくのお母さんて こんなに可愛い顔してたんだぜ こんなに可愛い顔して 歩いたり、笑ったり、手紙を書いたり 歌ったり 泣いたりしてたんだね」


日本語でカバーされてから23年もの月日が経っているのに、「デイ・ドリーム・ビリーバー」を歌う清志郎の声が、いつもエバーグリーンに感じるのは、そのときの幸福な気持ちが伝わってくるからなのかもしれない。

「37年近く生きてきて とにかく初めての気持ちなんだ 
とっても幸福な気持ち だけど、涙がどんどん出てきちゃうのさ 
気がつくと、ぼくの目に涙があふれてる 涙が流れ落ちるんだ 
その可愛い顔が見えなくなっちゃうんだ」



(注)本コラムは2014年6月27日 に初公開されました。

―ヒットや流行を超えた歌―TAP the SONGでは毎週1曲、そんな歌をご紹介しています。
時代を超えるスタンダードになるための条件のひとつは、「デイドリーム・ビリーバー」のように、異なる世代へと歌い継がれていくことです。




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忌野清志郎『ネズミに捧ぐ詩』
(2014/KADOKAWA)

THE TIMERS『ザ・タイマーズ』
ユニバーサルミュージック

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