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ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)〜バスローブ姿で店番した心の闇

2019.06.20

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1969年のある夜、テッド・ノーランという雑誌記者がウェストハリウッドの通りに健康食品店を見つけた。暗い店内には客はおらず、バスローブをはおった奇異な姿の長髪の店員がいるだけ。驚いたことに、その店員は誰あろうブライアン・ウィルソンだった。

ほんの3年前に、ポップ音楽史上最高のレコードと称賛された「Good Vibrations」を制作した男がこんなところで何をしているのか? その〈ラディアント・ラディッシュ〉はブライアンが共同オーナーを務める店で、しばしば自ら店番をしていたのだ。昼間だけでなく、明け方にバスローブ姿で店を開けることすらあったという。

ブライアン芸術の頂点となるはずの、革新的なサウンドを目指したアルバム『Smile』を未完のまま放棄してから2年。27歳の彼はパラノイアに陥り、ビーチ・ボーイズの録音に関わる時間はごくわずかになっていた。その前年には、短期間とはいえ精神病院で治療を受けたという。その主な原因がドラッグの使用だったことを考えると、健康食品店でビタミン剤を客に勧めるなんて、それ以上の皮肉はなかった。

同じ頃、ブライアンはビーチ・ボーイズの録音の多くにも参加した名ドラマー、ハル・ブレインを突然訪ね、自分のゴールドディスクのほとんどを譲ろうとした。
「彼は自分の過去から自分を取り除こうとしていた。別の場所に向かおうとしていたけど、それがどこなのかはっきりとわかっていなかったし、気にもかけていなかったと思うよ。とても悲しかったね」

ただし、この1969年は人気が下り坂だったビーチ・ボーイズ本体には転機の年となる。ブライアンの実質的不在にもかかわらず、弟のカールとデニスの成長で充実した内容となったアルバム『20/20』を発表。9月の「ビッグ・サー・フォーク・フェスティバル」出演の成功をきっかけに、縦縞シャツを脱ぎ捨てた新しいイメージで人気を盛り返し始めたのだ。

しかし、ブライアンはそれからも長い暗黒の年月を過ごす。1970年代半ばに一時復活するも、健康と精神の安定を取り戻しての真の復活は、1980年代後半まで待たねばならなかった。


縦縞シャツを脱ぎ捨てた新しいイメージ
時代遅れのサーフィン・グループというイメージを払拭するのに大きく貢献したのが、ヒッピー文化を象徴する存在のグレイトフル・デッドとの共演だった。1971年4月27日ニューヨークのフィルモア・イーストでのデッドのコンサートの途中で、ビーチ・ボーイズが舞台に呼び込まれ、2曲を一緒にジャムったあと、自分たちだけの短いセットで 「Good Vibrations」などを演奏して評判となった。

真の復活
1976年にブライアンがプロデュースしたアルバム『15 Big Ones』発売に合わせて、「ブライアンが戻ってきた」というキャンペーンが行われた。前年に雇われた医師ユージン・ランディの治療がある程度効果を発揮したのだ。ランディは1983年に再び雇われ、強い薬の投与と生活のほぼすべてを管理する療法で、ブライアンを再び音楽に向かわせる。だがそれはマインドコントロールに近く、患者を食いものにしていると家族が法的処置をとり、1991年に解雇された。

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ブライアン・ウィルソン『Smile』




※当記事は2014年8月16日に初回公開されました。

TAP the POP 2周年記念特集 ミュージシャンたちの27歳~青春の終わりと人生の始まり〜

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