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マイケル・ジャクソン27歳〜ビートルズの著作権・出版権をめぐるポール・マッカートニーとの亀裂

2017.03.25

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1985年、27歳を迎えたマイケル・ジャクソンは名実ともに絶頂期を迎えていた。
マイケルとライオネル・リッチーの呼びかけの下、アフリカの飢餓と貧困を解消するために発足された“USAフォー・アフリカ”のテーマソング「We Are The World」が製作・発表されたのもこの年のことだった。
同年、マイケルはそれまで親交を温めてきたポール・マッカートニーと、ある問題で“気まずい関係”になってしまったという。
マイケルは、アーティストとしての才能の他にビジネスへの鋭い臭覚と興味を持っていたのだ。
当時、ポールとオノ・ヨーコ(ジョン・レノンの遺産管理人)の二人よりも高い値(4750万ドル)をつけて、ビートルズの楽曲すべての著作権と出版権を買い取ったのだ。
その瞬間から、マイケルはビートルズの版権を管理する音楽出版社ATVの所有者となった。
以降、彼のもとには何年間にも渡って年間1100万ドルの収入があったという。
この事でポールが気分を害したのは言うまでもなく…まるで“誰が世界一偉大でリッチなポップスターなのか?”と、マイケルから誇示されているようなものだった。
それまでのポールとマイケルと言えば「Say Say Say」や「The Girl Is Mine」、そしてポールのアルバム『PIPES OF PEACE』に収録されている「The Man」でのデュエットなどで共演をしてきた“良好な関係”だった。


この買収劇が行われるまで、ポールは彼がそんなことをしようとしているなんて夢にも思わなかったという。
1964年から1971年の間にリリースされたビートルズのすべての楽曲に対する版権は、誰の目から見ても明らかに金脈であり、富が湧き出る“名声の壷”だった。
当時、マイケルはこの買収についてこんな発言をしている。

「僕は聖杯を見つけたんだよ。」


ある音楽業界の幹部は、マイケルについてこう語っている。

「あんな少女みたいな声をだして、普段はなんとも言えない慎み深い態度なのに…彼は、ことビジネスにおいては頑固でいまいましい男だったよ。」


当時、ポールも(これ以上ないほどの控え目な表現で)こう語っていた。

「僕らの友情はちょっとだけ打撃を受けたんだ。会ったときにはあんなに優しくて礼儀正しい男なのに…。でも、マイケルは思いやりがあって親切で心が広い人間だ。お世辞で言っているんじゃないよ。」


そんなポールの言葉を他所に、マイケルはさらにスライ&ファミリーストーンやリトル・リチャードの版権も次々に買収していく。
それから数年後…21世紀になってから、誰に対してもいつも紳士的で愛想の良いポールが“昔の友人”マイケルに対して、それまでとは相反する表現をするようになった。

「彼は普通じゃないよ…。」





<引用元・参考文献『キング・オブ・ポップ1958‐2009』クリス ロバーツ著(青志社)>


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