「『キッドA』でのハイライトは『サタデー・ナイト・ライヴ』でのパフォーマンスだった」(トム・ヨーク)
レディオヘッドが2000年に放った問題作『キッドA』。
それまでのギター・ロックから一変し、エレクトロニックなサウンドを全面に押し出したこのアルバムは、メディアや批評家の間で物議を醸した。
前作『OKコンピューター』(1997年)は“レディオヘッドの最高傑作”という評価を集め世界中で大ヒット、彼らは“世界でもっとも重要なバンド”とまで呼ばれるようになった。
しかし、大きすぎる成功は時に越えられない壁となる。レディオヘッドの新作アルバムの制作は、それまでにないほど難航を極めるのだった。
「僕は『OKコンピューター』の次は『上質の3分半ソングに戻ろう』と提案したんだ」
そう語るのはギターのエド・オブライエンだ。新曲はおろか曲のアイディアすらないままスタジオに入った彼らは、セッションを重ねながら模索を続けたが、満足のいくものは生まれなかった。
そんなある日、トム・ヨークが持ってきたデモ・テープにはいつものアコギによる弾き語りではなく、ノイズやサンプリングの断片が収められていた。
ジョニー・グリーンウッドだけは興味を示したが、他のメンバーはそれをどうかたちにすればいいのか分からず困惑した。エドは当時の心境をこう話している。
「この新しい音楽にどう貢献すればいいのか? このまま去る方がいいのかもしれないと思うこともあった。最初はとても怖かったよ」
しかし、トムがレディオヘッドとしてこの作品を完成させることを望むと他のメンバーもそれに従い、長い月日をかけて少しずつその新しい音楽は形になっていく。
その中の1曲、「ザ・ナショナル・アンセム」について、トムにはホーンセクションの即興演奏を入れたいというアイデアがあった。
スタジオに集められたホーンセクションは好きなように演奏していいと言われたが、どんな音を出せばいいのか、なかなか掴むことができなかった。
そこでホーンの1人が、指揮をしてほしいと提案する。彼らは「音を大きく」「激しく」「静かに」といったイメージがほしかったのだ。
指揮の経験などなかったトムとジョニーは乗り気ではなかったが、嫌々ながらもやってみることにする。すると2人は数秒も経たないうちに飛び跳ねたりしながら、全身汗だくでイメージを表現してみせた。
ホーンの1人、スティーヴ・ハミルトンはこのように振り返っている。
「正直なところ、彼が何をやっていたのか僕にもわからないよ! でももっと何かを表現したいという気持ちにさせられたことは確かだ」
1年以上もスタジオに入り続けてようやく完成した4枚目のアルバム『キッドA』は、2000年10月2日にリリースされた。
批評家から「これはレディオヘッドじゃない」「まったく理解できない」など厳しい評価を受けたがファンからは歓迎され、予約も含めてセールスは出だしから好調だった。
その人気と注目の高さをうけて、10月14日にはアメリカの大人気番組『サタデー・ナイト・ライヴ(SNL)』への出演が決まる。SNLは毎週土曜日の23時半から生放送される音楽バラエティで、1975年から続く長寿番組だ。
番組中盤、8人のホーン・セクションを従えてステージに現れたレディオヘッドが演奏し始めたのは「ザ・ナショナル・アンセム」だった。
前奏が盛り上がるにつれ、トム・ヨークは音に取り憑かれたかのように頭を振り回しながら全身でイメージを体現しはじめる。スタジオの時さながらにトムは指揮者になってみせたのだ。
演奏者はトムの動きを通じてイメージを共有し、1つの意思となって音を氾濫させていく。そしてそのイメージは観るものにも目と耳を通じて伝染していくのだった。
SNLでのレディオヘッドのパフォーマンスは大きな話題となってセールスを後押しし、『キッドA』は全米アルバムチャートで初登場1位という、イギリス人のバンドでは3年ぶりとなる快挙を成し遂げた。
のちにトム・ヨークはSNLでのステージについてこのように振り返っている。
「あの演奏は良かったという自負がある。あのあと1週間くらい上の空だった。最高の気分だったよ」
参考文献:『トム・ヨーク すべてを見通す目』トレヴァー・ベイカー著 丸山京子訳(シンコーミュージック)
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