英国の階級は大まかに上流階級(アッパー・クラス)、中流階級(ミドル・クラス)、労働者階級(ワーキング・クラス)の3つに分かれ、それぞれが閉鎖的だ。
1990年代後半のブレア政権下の好景気により、“イギリス総中流化志向”の気運が高まってきたものの、階級意識はなかなか消えるものではないらしい。
ワーキング・クラスにとってのサクセス・ストーリーは、サッカー選手かロックスターになることで、生活の悲哀や社会への不満をぶつけるロック・ミュージックは、労働者階級の側にあるものとされてきた。
だからワーキング・クラスの者から見ればミドル・クラス出身者のロックは、「お嬢ちゃん、お坊ちゃんのお遊び」に過ぎないとさえも言われてきた。
ミドル出身のミック・ジャガーは初期の頃ワーキング訛りで歌っていたし、ジョー・ストラマーもしばらくはミドル出身であることを隠していた。
1990年代初めのオアシスvsブラーの構図は、英国内ではワーキングvsミドルという図式での闘いだった。
そんな中、1992年にデビューしたアッパー・クラスの学校出身のレディオヘッドが、英国内でまともにメディアに相手にされることがなかったのは当然だった。セカンド・シングルとしてリリースされた「Creep」も、その年の全英チャートでは75位どまりだった。
しかし、翌年になってカレッジ・ラジオが「Creep」をオンエアし始めたことから、カレッジ・チャートで1位に輝いたレディオヘッドは、アメリカで最初に人気に火がついた。
だけど俺はウジウジしていて、どうしようもない奴なんだ
俺は一体ここで何やってんだ?
居るべき場所ではないのに
青臭くてネガティヴな歌詞をエモーショナルに歌うトム・ヨークのヴォーカルと、途中で爆発するジョニー・グリーンウッドのディストーション・ギターが印象的だが、歌詞はトム・ヨーク自身の若い頃の苦悩そのもので、アッパーの学校出身の彼でさえ、10代には出口のない孤独感に苛まれていたのだと言う。
学校では、いるべきではない時期に、いるべきではない所にいるって感じてた。
誰かが体に銃弾で大きな穴を空けたみたいな、そんな感じだった。
当時のアメリカでは「ニルヴァーナに対するイギリスからの回答」と解釈され、出口のない閉塞感に苛まれたX世代の若者に多く支持された。
この「Creep」が大ヒットしたことによって、レディオヘッドのメンバーたちは「Creep」を越える曲を作らねばというプレッシャーと、メディアから浴びせられる「一発屋」のレッテルに苦しめられた。
またトム・ヨークが自分の声に自信が持てなくなった時期があり、自分のドラマティックなヴォーカルに対して、「胸クソ悪くて耐えられない」とまで言ったこともある。そんなことがあって彼らはライブで「Creep」を演奏することを、しばらく封印してしまった。
ファンにとっては最も聴きたいけれど、最も聴くことが難しい1曲となってしまった「Creep」を、彼らはライブで会場と親密な関係が築けたと感じた時にだけ演奏した。
そんな「Creep」を日本で奇跡的に聴くことができたのが、2003年のサマー・ソニックだった。
会場全体がレディオヘッドの5人と一体となり、充実した時間がセットリストにはなかった「Creep」の演奏へと導いたのだった。
この時のライブはサマーソニック史上でも、特に素晴らしいライブとして今も語り継がれている
※参考文献:クロスビート・ファイルvol.10 増補改訂版「レディオヘッド」シンコーミュージック
文中のトム・ヨークの言葉はクロスビートのトム・ヨーク・インタビューより引用しました。
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