ロックファンの間では“ボンゾ”の愛称で広く親しまれているレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナム。
ロック黄金期(60〜70年代)の音楽をかじった経験のある人間なら必ず知っていると言っても過言ではない“伝説のドラマー”である。
ロックミュージックにおいて考えられるドラムパターンは「彼が生前に叩き尽くした」とまで言われ、ミュージシャンの間では今でも崇拝されている存在だ。
Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)というバンド名を冠したデビューアルバムのオープニング曲「Good Times Bad Times」(1969年)で鮮烈な印象を残し、名盤といわれた『Led Zeppelin IV』(1971年)の「Black Dog」などで聴くことのできる、卓越したタイム感や変拍子を駆使したワイルドかつパワフルなドラムプレイで“唯一無二”の存在感と実力を見せつけた彼。
体格にものをいわせて力任せに叩くのではなく、ジャズの技術に忠実に“柔と剛”を自在に使いこなしているところが、彼のドラミングの凄さといわれている。
♪「Moby Dick」/レッド・ツェッペリン(LIVE)
彼が叩いた数ある名曲の中でも、その神がかったドラムプレイをたっぷり堪能できるインストゥルメンタル曲がある。
それは、1969年にリリースされたレッド・ツェッペリンの2ndアルバム『Led Zeppelin II』に収録されている「Moby Dick」という“伝説の白鯨”をテーマにしたもの。
序盤1分くらいはバンド全体で演奏されるグルーヴィーなテーマがひとしきり…そして、おもむろにボンゾのソロに切り替わる。
そのステックさばきはもちろんのこと、目を見張るドラムテクニックの数々が披露される中、驚きの!素手で叩くプレイまで飛び出す“ボンゾ独壇場”の世界が永遠と続き…最後にちょこっとしたエンディングテーマで〆る!!!
インストゥルメンタル曲とはいえ、そのほとんどがドラムソロといったまさに前代未聞の楽曲なのだ。
初期のツェッペリンのコンサートでは、この曲がハイライトの一つになっていたという。
曲名は、1851年にハーマン・メルヴェルが発表した世界的に有名な長編冒険小説『白鯨(モビィ・ディック)』から付けられており、ボンゾの力強いドラミングが白鯨=荒くれ者を連想させるところから由来している。
デビュー前はレンガ職人だっただけあって、もともと腕力は申し分なしだったボンゾだが、体型は最初からゴツかったわけではない。
実際、デビューした当初は痩せてい彼だが…バンドの成功に伴って好きなビールをたくさん飲み過ぎたのだといわれている。
その酒癖は相当に悪かったらしく、来日公演の時にはホテルの窓からテレビを投げ落としたというエピソードもあるくらいだ。
彼が何故にそこまで酒に溺れたのか?それには理由があったという。
彼はとても愛妻家であり、良き父でもあった。
あまりにも家庭を愛していたがために、家や家族から離れて長いツアーを行うことを嫌っていた彼。
公演ツアーの度に、ホームシックと重度の飛行機恐怖症を紛らすために、しばしば深酒をしていたのだという。
彼の酒癖は次第に酷くなってゆき…1980年9月25日、彼は酒によって帰らぬ人となってしまう。
その前日、彼はバンドのアメリカツアーに向けてのリハーサルのためにスタジオに向かっていた。
だが、その途中で立ち寄ったパブで16ショット相当(約473 ml)のウォッカを飲み干し、スタジオに到着してからもさらにアルコールを口にしていた…。
リハーサル終了後、ジミー・ペイジの自宅で行われていたパーティーにも顔を出し、そこでも彼は飲み続け…とうとう酔い潰れてベッドに寝かされた。
翌朝、ツアーマネージャーとベースのジョン・ポール・ジョーンズが、寝室で冷たくなっている彼を発見する。
死因は、吐瀉(としゃ)物を喉に詰まらせての窒息死だった。
検死の結果、多量の飲酒により肺水腫を引き起こしていたことと、アルコール以外の薬物反応はないことがわかった。
その後遺体は火葬され、遺灰は彼が所有していたバーミンガムの農場近くのラショック教区墓地に埋葬された。
不慮の出来事で偉大なドラマーを失ったツェッペリンは、同年12月4日に解散声明を発表する。
あの日、鯨飲し過ぎた彼は…安らかな眠りと共に家族のもとへ帰れたのだろうか?
没後40年以上経つ今も「彼を超えるドラマーは居ない」と語り継がれながら、ボンゾは“伝説の白鯨”となりロックンロールの大海原を漂っている──。
執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
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