この「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」は、越路吹雪の十八番(おはこ)として広く知られていたため、日本ではシャンソンと思っている人が少なくない。
越路のマネージャー兼生涯の親友だった岩谷時子が、多くのシャンソンに日本語訳をつけていたことも理由のひとつかもしれない。しかし、この歌はフランスで生まれのシャンソンではなく、アメリカ産のポップスなのだ。
また、オリジナルを唄ったのが、ベン・E・キングも在籍していた人気コーラスグループのザ・ドリフターズ(The Drifters)で、アトランティック・レコードから発売されたということで、R&Bのヒット曲と思い込んでいる人も多い。
ところが、この楽曲を手掛けたドク・ポーマス(作詞)も、モルト・シューマン(作曲)も、白人なのだ。後にエルヴィス・プレスリーへの楽曲提供で名を馳せたポーマスとシューマンの二人は、1950年代末からソングライターチームとして活動を始めている。
男性アイドル歌手フェビアンや、R&Rドゥーワップ・グループとして人気を誇ったディオン&ザ・ベルモンツに書いた楽曲がスマッシュヒットを記録し、徐々に注目を集めていく。そんな彼らの名声を決定づけたのが、この「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」だった。
元々は白人アイドル歌手のジミー・クラントンのために書き下ろした曲だったが、アトランティックから「ドリフターズに唄わせて欲しい!」と頼まれ、それを了承。ラテン風のテイストがほのかに香るドゥーワップソングとしてアレンジされ、ベン・E・キングのリードヴォーカルを軸に“おなじみの”テイクが完成した。
1960年にリリースされたこの歌は、一気にヒットチャートを駆け上がり、3週連続全米1位を記録。ビートルズのポール・マッカートニーは、この曲を聴きながら「Hey Jude」を作ったという。
そんな秘話を元に、日本の人気コーラスグループ、ザ・キングトーンズが大瀧詠一プロデュースで、2つの楽曲をマッシュアップさせた「ラストダンスはヘイジュード」(1981年)をリリースした。
作詞者のドク・ポーマスは幼少期にポリオ(急性灰白髄炎)を患い、成人してからも松葉杖と車椅子を使う生活を余儀なくされていた。十代でブルース歌手となり、ハンデのおかげで黒人の聴衆と気持ちを通わせていたという。
二十代後半の頃、ブロードウェイの女優/ダンサーと結婚し、家族を養うために歌詞と平行して雑誌記事を書くようになる。この歌は、彼が実際に体験した“ある日の出来事”に基づいて書かれた。その内容は、彼が最愛の妻に贈った究極のラブソングだった。
<引用元・参考文献『スタンダード・ヴォーカル名曲徹底ガイド下巻』音楽出版社>
Rockin’ & Driftin’ + Save The Last Dance For Me
ゴールデン☆ベスト 越路吹雪
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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
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