1970年10月4日。
約束の時間になっても、ジャニス・ジョップリンはスタジオに姿を現さなかった。レコーディングに遅れることなど、これまでのジャニスなら、ありえない話だった。
ロード・マネージャーのジョン・クックは宿泊先であるロサンゼルスのランドマーク・ホテルに向かった。
ドアをノックする。
だが、応答はない。
ジョン・クックはフロントまで降りていき、事情を話して、鍵を借り、部屋を開けた。ジャニスは息を引き取っていた。27歳という若さだった。
アルバム「パール」は完成間近だった。後は、ジャニスが最後の曲「ブルースに葬られて」の歌入れをするだけだった。
バンドの演奏は前日に録り終えていた。ジャニスもその演奏を気に入っていた。その時、夜の11時。歌入れは次の日に、となっていた。
その後、バンドメンバーとジャニスは、バーニーズ・ビーナリーという店で軽く飲んだ後、ホテルに戻ったことがわかっている。
ジャニスは、ドラッグに打ち勝ったはずだった。少なくとも、アルバムのレコーディングの前まではそうだった。だが、レコーディングが始まると、緊張感からか、再び、ヘロインに近づいていたのだろう。
死亡推定時刻は午前1時40分というから、部屋に戻った直後ということになる。その夜、ジャニスが地元のディーラーから手に入れたヘロインは、これまで彼女が摂取していたものの10倍の純度があったことがわかっている。ジャニスの死は、そういう意味では、事故に近いものだった。
遺作となった「パール」からは、「ミー・アンド・ボビー・マギー」がシングルカットされ、全米ナンバーワンに輝いた。
作者はクリス・クリストファーソン。歌手として、ソングライターとして陽の目を見なかったクリストファーソンが、ヘリコプターのパイロットをしながら書いた曲である。
「バトン・ルージュからニューオリンズあたりを飛んでいた。頭の中では、ミッキー・ニューベリーの『ホワイ・ユー・ビーン・ゴーン・ソー・ロング』が鳴っていた。そして俺は」
と、クリストファーソンは語っている。
「フェリーニの映画『道』のことを思い出したのさ」
クリストファーソンは、歌のストーリーを映画『道』を下敷きに作り上げたのだと説明している。
だが、この歌の一番有名なフレーズはどうなのだろう。
自由ってのは
別の言葉でいえば
もうそれ以上
失うものがないということ
ジャニスの歌声に、この歌詞は、とてもよくハマったのである。
「ヘリコプターを操縦していた時の俺は、ソングライターとして失敗し、家族を失い、残ったものはといえば、請求書と養育費と悲しみだけだったのさ」
と、クリストファーソンは語っている。
「そして、俺はヘリコプターの仕事もクビになろうとしていた。最悪さ。でも、どこか自由な気がしたのさ。他人の期待に応えて生きる必要などない、と思った時、自由な感じがしたんだよ」
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