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「ミー・アンド・ボビー・マギー」を書いたクリス・クリストファーソンが感じた自由

2024.09.30

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1970年10月4日。
約束の時間になっても、ジャニス・ジョップリンはスタジオに姿を現さなかった。レコーディングに遅れることなど、これまでのジャニスなら、ありえない話だった。

ロード・マネージャーのジョン・クックは宿泊先であるロサンゼルスのランドマーク・ホテルに向かった。

ドアをノックする。
だが、応答はない。

ジョン・クックはフロントまで降りていき、事情を話して、鍵を借り、部屋を開けた。ジャニスは息を引き取っていた。27歳という若さだった。

アルバム「パール」は完成間近だった。後は、ジャニスが最後の曲「ブルースに葬られて」の歌入れをするだけだった。

バンドの演奏は前日に録り終えていた。ジャニスもその演奏を気に入っていた。その時、夜の11時。歌入れは次の日に、となっていた。

その後、バンドメンバーとジャニスは、バーニーズ・ビーナリーという店で軽く飲んだ後、ホテルに戻ったことがわかっている。

ジャニスは、ドラッグに打ち勝ったはずだった。少なくとも、アルバムのレコーディングの前まではそうだった。だが、レコーディングが始まると、緊張感からか、再び、ヘロインに近づいていたのだろう。

死亡推定時刻は午前1時40分というから、部屋に戻った直後ということになる。その夜、ジャニスが地元のディーラーから手に入れたヘロインは、これまで彼女が摂取していたものの10倍の純度があったことがわかっている。ジャニスの死は、そういう意味では、事故に近いものだった。

遺作となった「パール」からは、「ミー・アンド・ボビー・マギー」がシングルカットされ、全米ナンバーワンに輝いた。

作者はクリス・クリストファーソン。歌手として、ソングライターとして陽の目を見なかったクリストファーソンが、ヘリコプターのパイロットをしながら書いた曲である。

「バトン・ルージュからニューオリンズあたりを飛んでいた。頭の中では、ミッキー・ニューベリーの『ホワイ・ユー・ビーン・ゴーン・ソー・ロング』が鳴っていた。そして俺は」


と、クリストファーソンは語っている。

「フェリーニの映画『道』のことを思い出したのさ」


クリストファーソンは、歌のストーリーを映画『道』を下敷きに作り上げたのだと説明している。



だが、この歌の一番有名なフレーズはどうなのだろう。

自由ってのは
別の言葉でいえば
もうそれ以上
失うものがないということ


ジャニスの歌声に、この歌詞は、とてもよくハマったのである。

「ヘリコプターを操縦していた時の俺は、ソングライターとして失敗し、家族を失い、残ったものはといえば、請求書と養育費と悲しみだけだったのさ」


と、クリストファーソンは語っている。

「そして、俺はヘリコプターの仕事もクビになろうとしていた。最悪さ。でも、どこか自由な気がしたのさ。他人の期待に応えて生きる必要などない、と思った時、自由な感じがしたんだよ」




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