「ねえ、ニックがパパのために書いた曲を聴きに来てよ」
ニック・ロウは妻のカーリーン・カーターが父親と電話で話す声で目を覚ました。
電話の相手はカントリー音楽の巨人ジョニー・キャッシュである。義父は既にニックの「Without Love」を取り上げていたが、ニックは新曲を書き下ろしたかった。そしてキャッシュにぴったりと思う歌詞の冒頭を思いついた。
俺の中の獣がもろく壊れやすい檻の中に入れられている
昼も夜も落ちつかない
星に向かってわめいて罵っている
神様、俺の中の獣をお助けください
ニックはその「The Beast In Me」を仕上げて、キャッシュがロンドンにいる間に聞かせようと考えた。彼はワイン数本の力も借りて徹夜で曲を書き上げる。もっと時間をかけるべきだったかもしれない。二日酔いの頭で妻の会話を耳にして、ニックは後悔し始めたが、もう遅い。
キャッシュはバンドとスタッフを引き連れて現れた。ニックはその大人数の前で歌うことになったのだ。ひどい歌声だった。前夜はキャッシュばりの低音を家中に響かせていたはずだが、見つめられる中で歌い出したら、口から出てきたのはキーキーした情けない声だった。
歌い終わってもみんな押し黙ったまま。すると、キャッシュが口を開いた。
「悪くないな、ニック。もう一度歌ってくれ」
2回目はもっとひどかった。もう二度とこの歌を聴きたくない。ニックはそう思った。だが、キャッシュはこの曲に何かがあると感じたようだ。
それからもキャッシュは会うたびに訊ねた。「あの曲はどうなった?」と。そんな義父の熱意に押され、ニックは曲を仕上げてデモを送った。キャッシュから返事はなかったが、良い曲が書けたとわかっていた。
しばらく経って、ジャマイカでキャッシュ一家と過ごしていた娘のティファニーから連絡があった。
「ねえ、パパ、おじいちゃんは家に来る人全員にあの曲を歌って聞かせているわよ!」
「The Beast In Me」を収めたアルバム『American Recordings』は、ジョニー・キャッシュの人生を大きく変える。
妻のカーリーン・カーター
ニック・ロウとカーリーン・カーターは1979年から1990年まで結婚しており、カーリーンの『Musical Shapes』(1980年)と『Blue Nun』(1981年)はロンドンで録音され、ニックがプロデューサーを務め、前者はニックがデイヴ・エドモンズらと組んでいたロックパイル、後者はニックのバンド、ノイズ・トゥ・ゴーが伴奏を務めている。

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