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ベックの27歳~愛しのガールフレンドに捧げた1枚

2024.04.05

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「彼女は一文無しで無名だった頃の僕を知っている。
誰よりも先に僕を好きになってくれた。そこが重要なんだ」


1997年の2月、ベックは2枚目のメジャー・アルバム『オディレイ』で初のグラミー賞を獲得する。
授賞式にはガールフレンドのリー・リモンを連れて出席した。彼女について聞かれたときのベックの返答が、冒頭の言葉である。

2人が出会ったのは1991年、ベックがまだ低賃金のバイトを転々としていた頃だった。ベックの父が経営する古着屋で知り合い、互いに惹かれ合って付き合うことになった。

それから2年後、ベックは「ルーザー」の大ヒットをきっかけに、瞬く間にシーンの頂上へと登りつめて、ついにはグラミー賞という栄誉を獲得したのだった。

ベックを称賛する声はその後もとどまるところを知らず、1997年の終わりには各メディアで年間最優秀アーティストに選ばれると、セレクト誌が選ぶ「世界で最も重要な100人」でも第1位となる。
このときベックは27歳、世はまさにベック・フィーバーだった。

ところがガールフレンドのリーは、ベックが大ヒットさせた2枚のアルバム『メロウ・ゴールド』と『オディレイ』、どちらも好きじゃなかったという。
そこでベックは、次のアルバムを彼女に気に入ってもらえるようなものにしようと考えた。

20ヶ月も続いたオディレイ・ツアーがようやく終わった1998年1月、ベックは休むことなく次のアルバム制作に取り掛かる。
プロデュースを依頼したのは、前々から興味を持っていたナイジェル・ゴッドリッチ(レディオヘッドの一連の作品を手がけたことで知られている)だった。

スタジオに入った2人は互いの仕事ぶりを確認するため、早速「コールド・ブレインズ」と「エレクトリック・ミュージック・アンド・サマー・ピープル」の2曲をレコーディングする。
これらの楽曲はベックがノートに書きためていた過去の作品の中から、ガールフレンドのリーによって選曲されたものだ。

どちらもとても満足のいく仕上がりになったが、ベックはアップテンポな「エレクトリック・ミュージック・アンド・サマー・ピープル」をアルバムから外すことに決めた。

気に入ったものならジャンルを問わずなんでも取り入れるのがベックのスタイルだが、その結果、これまでのアルバムはどれも雑然としていた。
そこが魅力でもあるのだが、今回はそれを捨てて、1つのコンセプトでまとめられた作品を目指した。

「僕は前々から均一性のあるまとまったアルバムを作りたいと思っていたんだ。
だから今回は是非、美しいひとつの気分に貫かれた抑え気味のレコードにしたかった。
それに、そうすることで僕はやっと僕のガールフレンドが喜んで聴いてくれるレコードを作ることができたんだ」


このアルバムでベックは、もうひとつ新たな試みを行った。
すでにデジタルによるレコーディングが主流となっていた時代に、かつてのアナログ・テープによる録音にあえて挑戦したのだ。

「伝統的なアプローチに立ち返りたいと思った理由の1つに、テクノロジーに制約されたくないというのがあったんだ。可能性に縛られて身動きがとれなくなり、何をやっているのかわからなくなりかねないから」


デジタルであれば、間違えた箇所など簡単に修正することができるし、様々な編集を容易に行なうこともできる。
ところがテープの場合だとそうはいかず、限られた選択肢の中で覚悟を決めて録音作業を進めていかなければならない。
しかし、そうしたアプローチだからこそ辿り着くことのできる音楽もある。

レコーディングは順調に終わり、その後のミックス作業なども含めて、わずか2週間で音が仕上がった。
完成したのは、穏やかに包み込むような空気感の中で、シンガー、そして詩人としてのベックを存分に堪能できる、ベック流ルーツ・ミュージックともいうべき作品だ。

1998年11月3日にリリースされたアルバム『ミューテーションズ』は、それまでと全く違う路線であるにもかかわらず、各メディアから称賛の嵐を浴びる。

“突然変異”と名付けられたタイトル通り、革新的なサウンドで時代を牽引した前2枚のアルバムとは打って変わって、伝統とルーツを踏まえながらも、ベックは新しい挑戦で自身の新境地を開いてみせた。

こうしてガールフレンドのリーに気に入ってもらえる作品を作ったベックだが、それから2年後、リーの浮気が発覚したことから8年間の交際は終わりを迎える。

失意の底に沈んだベックはそのときの感情や想いを歌にしてアルバム『シー・チェンジ』を制作し、過去に別れを告げるのだった。

(このコラムは2015年8月22日に公開されたものです)




Beck『Mutations』
Geffen Records

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参考文献:
『ベック/源流への旅』ロブ・ジョヴァノヴィック著 染谷和美訳(シンコー・ミュージック)

TAP the POP 2周年記念特集 ミュージシャンたちの27歳~青春の終わりと人生の始まり〜

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