伝説のオペラ歌手、マリア・カラス。
エキゾティックな美貌と強靱な声、そして緊張感あふれる劇的な表現。オペラ史上において、この人ほど人気とカリスマ性を持つ人物は後にも先にもいないだろう。
二十代後半、マリアはいろんな意味での“転機”を迎えることとなる。27歳のマリア・カラスがどんな日々を過ごしたのか?
それまでの足跡を振り返りながら、歌手として羽ばたいていく姿に迫ります。
マリア・カラスは、ギリシャからニューヨークへ移住した両親の次女として生まれた。男の子の誕生を望んでいた母エヴァンゲリアは、マリアの誕生をあまり喜ばなかったという。しかし、娘に歌の才能を見出してからは音楽の英才教育に没頭することとなる。歌手にしてひと儲けする皮算用だったのだ。
内気だったマリアは、母の英才教育によるストレスのため過食症となり激太り。自信を失った少女は、暗く内向的な性格となっていった。やがて父が事業に失敗すると母は迷わず離婚して、2人の娘を連れて故郷ギリシャへ帰国。
1938年。15歳になったマリアは、実年齢を偽って国立音楽院に入学。その後、アテネ音楽院でエルビーラ・デ・イダルゴに師事し、18歳を迎えた1941年にアテネ・オペラでプロデビューを果たした。
終戦直後の1945年、マリア母から遠ざけられていた父親を尋ね、アメリカでキャリアを積むべく再び大西洋を渡る。その後、イタリアなどにも活動の場を広げながら、20代はひたすら音楽の道に励んだ。男性に結婚を迫られても、過食症により太った自分を卑屈にとらえて積極的になれなかった。
そんなマリアの心を射止めたのは、ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニというイタリア人実業家だった。二人の出会いは1947年。当時マリアは24歳、そしてメネギーニは52歳。後にマリアは出会いについてこんな風に語っている。
「出会って5分後には“まさしくこの人だ!”とピンときたのを憶えててるわ」
3ヶ月間のアルゼンチン公演を控えていたマリアが、後援者でもあったメネギーニに対して「私と24時間以内に結婚してくれなければブエノスアイレスには行きません!」と言い放ち、見事その心を射止めたというエピソードは、“カラス伝説”として有名だ。
資料文献によってはその逆で、メネギーニがマリアに一目惚れをして猛アタックを繰り返し、マリアの恋人兼マネージャーになったとも言われているが、真相は謎のままである。
1949年4月21日、二人はイタリアのヴェローナにあるフィリッピーニ教会で結婚式を挙げる。不倫関係にあった28歳年上の実業家(マネージャー)と念願かなっての結婚。
妻のいた男をいわゆる“略奪愛”で手に入れたマリアは当時、世間からの冷たい視線を受けた。メネギーニとの結婚により、それまで抱えていた経済的な不安から解放され、一層オペラへと打ち込んでいった。
加えて、過食症によって当時100キロに迫る巨漢だったマリアが変身したのもこの頃である。舞台への役作りと夫の協力もあり、数ヶ月で30キロもの減量に成功する。
それまでの姿から一変し、スリムで美しい美貌を手に入れたマリアは、オペラ歌手としてのキャリアを順調にステップアップさせていった。

<引用元・参考文献『マリア・カラス 聖なる怪物』ステリオス・ガラトプロース(著)、高橋早苗(訳)白水社>
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