TAP the DAY

アイドルという言葉とともに日本を席巻したフランスの妖精シルヴィー・バルタン

2015.02.26

Pocket
LINEで送る

ロカビリーブームに沸いた1958年から59年にかけて、日本では若手のロックンロール歌手たちが、一部の音楽誌などで”アイドル”と呼ばれるようになった。
新興楽譜出版社が出していた「ミュージックライフ」の1961年11月号には、そのことが記事として残っている。

私たちのアイドル、ロックンロール歌手が大挙出演して製作された東宝映画”檻の中の野郎たち”と”青春を賭けろ”の二本でしたね。ミッキー・カーチス、山下敬二郎、寺本圭一、坂本九、ジェリー藤尾、水原弘……と言った人気歌手が総出演しました。


映画からヒット曲や名曲が生まれる時代、この2本の映画からは水原弘が歌って第1回レコード大賞に輝いた「黒い花びら」と、後にちあきなおみの歌で有名になった「黄昏のビギン」の原曲が誕生している。

その頃から60年代前半にかけて”アイドル”扱いされていたのは、アメリカンポップスのカヴァーを歌っていたティーンエージャーたちで、ザ・ピーナッツや坂本九、森山加代子、弘田三枝子、田代みどり、木の実ナナ、中尾ミエ、伊東ゆかりなどだった。
だが20歳をすぎれば彼らも1人前のスターとして扱われ、いつまでもアイドルと呼ばれることはなかった。

そんな時代に”アイドル”という言葉を日本に定着させたのが、フランスの妖精といわれたシルヴィー・バルタンである。

chercher_l_idole02

音楽コメディ映画の『アイドルを探せ(原題:Cherchez l’idole)』がフランスで公開されたのは1964年2月26日で、シルヴィー・バルタンはこのとき19歳だった。
映画にはエルヴィス・プレスリーなどのカバー曲で人気者になったロック・シンガー、ジョニー・アリデイを筆頭にフランスの人気アイドルが多数出演していた。

映画は東京オリンピックが終わった後、1964年11月21日から日本で公開されることになった。

だがシャンソン界の大御所だったシャルル・アズナヴール以外、フランスでは人気があっても日本にはほとんど知られていない若手歌手たちばかりの映画に、ヒットの可能性は少なかった。

そこで映画を宣伝するためにとられたのが、ジョニー・アリディともう一人、日本人受けする美貌の持ち主だったシルヴィー・バルタンを前面に出して、レコードとタイアップして音楽好きの若者に訴えるという作戦だった。

アイドルを探せ ジョニー・アリディ

するとそれが見事に、半分だけだが的中した。ジョニー・アリディはまるで無反応だったが、映画と同タイトルの「アイドルを探せ」は、発売されてすぐに爆発的なヒットになったのだ。

歌っているシルヴィー・バルタンの顔や姿を見たい、そんな若者たちが押しかけたおかげで映画も予想をはるかに超えるヒットになった。

アイドルを探せ シルヴィー・バルタン

シルヴィー・バルタンが登場するシーンは「アイドルを探せ」1曲を歌うところだけだったが、それでも観客からさほど不満の声はあがらなかった。
フランスの妖精だった”アイドル”のシルビー・バルタンを観ることだけで、もう十分に満足だったのである。



エルヴィス・プレスリーやブレンダ・リーがお気に入りで、アメリカンポップスのカヴァーから人気者になった点で、シルビー・バルタンは日本の若手ロックンロール歌手たちと同じだった。
デビュー当初はアメリカンポップスの「悲しき雨音」や「ツイスト・アンド・シャウト」などを、フランス語でカヴァーして歌っていた。

つまりは日本の若手ロックンロール歌手たちと、まったく同じ音楽的ルーツだったのだ。
日本の若者たちに全面的に受け入れられたのは、その辺にもつながりがあったであろう。

映画で共演したジョニー・アリデイと結婚したシルヴィー・バルタンは、1965年5月に世界ツアーの一環で初来日して大歓迎を受けた。

そしてレナウンの「ワンサカ娘」のCMソングを歌って、ますます日本人に親しまれていくのである。


なお「イエイエ」が連呼されるこの歌は、1961年に小林亜星が作ったもので、シルヴィー・バルタンの前に歌っていたのは日本の”アイドル”、かまやつひろしや弘田三枝子たちだった。

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑