TAP the DAY

初来日したピンク・フロイドが濃霧に包まれた箱根で演奏した「原子心母」

2015.08.07

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”ロックは英語で歌うべきか、日本語で歌うべきか”という論争もあった1970年から71年にかけて、”ほんもののロック”を目指して様々な会場でロック・コンサート行われていた。
そんな中で、日本でもウッドストックにならった野外ロックフェスを開こうと、1971年8月6日と7日の二日間、ニッポン放送の主催で「箱根アフロディーテ」というイベントが実現した。

箱根芦ノ湖畔にある成蹊大学所有の敷地に特設ステージが組まれたイベントの目玉は、プログレッシブ・ロックの雄、初来日したピンク・フロイドである。

前年に出たアルバム『原子心母』が邦題のネーミングのユニークさもあって大ヒットしたことで、ピンクフロイドがどんなライブを見せてくれるのかと、ロックファンの期待は大きかった。

原子心母

しかもイベントを前にした7月17日、後楽園球場では激しい雷雨によって伝説となったグランド・ファンク・レイルロードの公演が行われたばかりだった。
(参考記事⇒激しい雷雨で伝説となった後楽園球場のグランド・ファンク・レイルロード来日公演)

記者会見で関心の的となったピンク・フロイドだが、質問ははぐらかされ気味だった。(注1)

Q:日本のファンに4人からメッセージを……。
A:日本にしゃべりに来たんじゃない。プレイしに来たんだから、カンベンしてョ。
Q:貴方達の音楽とドラッグは密接な結び付きがあるということですが、その事に対しては?
A:日本じゃ、そのことについて余りしゃべるなって云われてるんですね。
Q:今度の箱根アフロディーテについて。
A:向こうでは、1910フルーツガム・カンパニーなんかと共演するなんてことは、有り得ないことだよ。
Q:向こうでの他のバンドとのつき合いは?
A:言っても、君達が知らない奴等ばっかりだよ。
Q:ソフト・マシーンは?
A:とっても、いい奴等だ。
Q:キング・クリムゾンは?
A:そんなグループ、聞いたことないよ。


pink-floyd-japan-72ピンク・フロイド取材


会場となる箱根の一帯は本番を前にして、台風の影響で前日から大荒れの空模様となり、開催そののもが危ぶまれる状況にあった。
だが何十台ものトラックで砂利を運搬して客席を養生した裏方たちの苦労が報われてか、悪天候ながらもイベントは両日ともに開催された。

しかしウッドストックにならった野外ロックフェスという割に、日本側の出演者たちは意外な顔ぶれであった。
メインステージに立ったのは南こうせつ&かぐや姫、本田路津子、トワ・エ・モア、長谷川きよし、赤い鳥、尾崎紀世彦、モップス、渡辺貞夫クインテット、そして海外勢が1910フルーツガム・カンパニー、バフィ・セント・メリーだった。

ヘッドライナーのピンク・フロイドは、夕闇せまる頃になってから登場した。
長いセットチェンジがあって待たされた観客を前に、1曲目の「Green Is the Colour」が終わった。

ときどき強風でスピーカーからの音が流されてしまい、客席にまで届かないという悪コンディションのなかだ。
そこからも長いチューニングがあったが、いよいよ「原子心母」の演奏が始まった。
雨は止んでいたが霧がたちこめて、濃霧に包まれたスポットライトの光が、ステージまで届かない瞬間もあった。
ただしその分だけ、自然のスモークとなった霧と光が一体化して、野外ならではの幽玄な空間が出現したとも言える。

観客は「原子心母」が終ってもしばし呆然としたままで、数秒後になって一斉に盛大な拍手が巻き起こったという。

ドラムのニック・メイソンは2014年に来日した歳、「箱根アフロディーテ」について思い出を語っている。(注2)

「すごく感激した、素晴らしい体験だったよ、初来日は。あれほどエキゾチックな所に行ったことはなかったから。
箱根は何回かした来日公演の中でも一番のお気に入りだろうな。すごく楽しかった。箱根に泊まって、夜には花火があがって。天候は悪くて、雨風が強かったが、フェスティバルとしての雰囲気は最高だったよ。音楽フェスの醍醐味が感じられた」


ところでその2日間、ピンク・フロイドが登場するまでの間、盛り上がっていたのは谷底にあるサブステージだったという。
そこには稲垣次郎、佐藤允彦、菊地雅章、山下洋輔といった日本のジャズの精鋭たちが揃っていた。

ロック勢はニューロックを模索していたクニ河内とチト河内兄弟のハプニングス・フォー、この頃のロックフェスにはほとんど参加していたGS出身のモップス、町田義人が在籍していたズー・ニー・ヴー、ギタリスト成毛滋とつのだひろのユニット”ストロベリーパス”には、弱冠17歳の高中正義がベースで参加していた。

当日の会場にいた放送作家の田家秀樹は当時を回想して、サブステージのほうがロックフェス的だったと語っている。(注3)

メインは高原の平地、サブは、窪地の底。谷底のステージみたいでしたね。
明らかに扱いが違った。でも、僕はサブステージの方に感動したんですよ。
ロックイベントぽかったのかな。


ピンクフロイドを除けば、意外にもサブステージに出ていた日本のジャズメンやロックバンドが盛り上がっていたというのは、現場にいたからこその貴重な証言だろう。

彼らが出た時は霧がかかって神秘的でしたし、まさにピンクフロイドだったんですけど、どう言えば良いんだろうなあ。僕等がイメージするロックフェスは、サブステージだったんですよ。
ウッドストックみたいに、みんながロックで”ノル”感じですよ。


確かにその後の佐藤允彦や菊地雅章、そして山下洋輔トリオは毎年のように、海外のフェスなどに呼ばれて活躍することになる。
 
ti

(注1)記者会見のコメント、Q&Aは音楽雑誌「ミュージックライフ」及び「ライトミュージック」からの引用です。
(注2)ニック・メイソンの言葉は「週刊朝日」2014年11月28日号よりの引用です。
(注3)田家秀樹しの発言は「田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 71年、箱根アフロディーテ。」からの引用です。http://takehideki.exblog.jp/21037090

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