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美空ひばりの「リンゴ追分」をSKAにして世界に広めたジャマイカのスカタライツ

2015.06.19

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スカタライツ(SKATALITES)はレゲエを生んだ国、ジャマイカのジャズ・ミュージシャンによるスタジオのレコーディング集団として、1963年に活動を始めて1965年までの間に多くの録音を残した。

その中でも異色なのが「Ringo Oiwake」、通称「Ringo」の原曲は美空ひばりが1952年に発表した「リンゴ追分」である。
これが1960年代なかばからジャマイカの音楽シーンで継承されて、SKAのスタンダードとなっていったというのだから面白い。

「Ringo」にはイントロで馬の走り抜ける足音が聞こえて”Here Comes Ringo!”という叫び声から始まって、曲の中では銃声が何度も鳴り響くヴァージョンもある。


アメリカの西部劇映画史に輝く名作、ジョン・フォード監督の『駅馬者』に主演したジョン・ウェインの役柄、リンゴ・キッドの「Ringo」に由来しているそうだが、なんとも不思議なつながりだ。

「追分」とは民謡の追分節から来ている。
馬を扱う馬子が仕事をしながら唄っていた「馬子唄」に、三味線で節を付けたものが追分節だ。

「リンゴ追分」は民謡とジャズを掛け合わせた歌なので、音楽的にジャズの発展形であるSKAと結びつくのは自然なことだった。
のんびりと馬を引いて歩く馬子唄が、アメリカのジャズを媒介にして、カリブ海に浮かぶ小さな島のジャマイカで、軽快なSKAになったのである。

アメリカの西部劇も馬を扱うカウボーイたちが主役なのだから、それが曲のタイトル「Ringo」を通じてSEにも結びついていったとすれば、「リンゴ追分」の持つ音楽の本質に関わる必然だったのかもしれない。

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美空ひばりが観客の前で初めて「リンゴ追分」を朗々と歌いあげたのは、1952年4月28、29日の二日間、歌舞伎座の舞台においてのことだった。

江戸時代から女人禁制だった伝統ある劇場で、女性として初めて舞台に立った美空ひばりはこの時15歳、そして伝統ある劇場を埋め尽くしたのも、質素な服装をした若者たちが中心だった。

硬骨のルポライター、竹中労はそれについてこう書き記している。

 歌舞伎座の舞台で美空ひばりが、はじめて、『リンゴ追分』を朗々とうたいあげたとき、真に民衆的なるものは戦後社会に回復した。
 私はこの年の夏この唄と出合ってから、レコードでステージで、何百ぺんとなくこの曲を聴いた。そして最も感動したのは、一九六四年のクリスマスの夜、横浜の「おしどり」(弟の益夫が経営するレストラン)で彼女がバンドの演奏を止めて、独唱した『リンゴ追分』であった。すべての音を消した静寂の中で、純粋な人間の声だけで奏でたそのメロディは鮮烈であった。
それは、戦火の日々も耐えることなく、占領下の抜粋、植民地化にも捻じ曲げられなかった、日本民衆の心の歌であった。


それから35年の歳月が過ぎてイギリスのザ・トロージャンズは、1987年にスカタライツの「Ringo」を受け継いでカヴァーした。


いささか頼りないところのある日本語だったが、一生懸命に歌ってくれている。
そして全篇に漂う哀愁と躍動感は、アイリッシュ・ミュージックとSKAの融合でもあった。

DJ出身でリーダーのギャズ・メイオールは8歳か9歳のころ、アイルランドに1ヶ月くらい滞在したときにアイリッシュ・ミュージックの魅力にハマったという。

ジャマイカン・ミュージックは歴史的というよりも音楽的にアイリッシュ・ミュージックと共通点があって、両者がうまく結婚できるんじゃいなかな?といつも考えていたんだ。


ジャマイカン・ミュージックとアイリッシュ・ミュージックとの結婚の前に、美空ひばりの歌った日本の歌謡曲との間に「Ringo」が生まれていたのだ。
それはアイリッシュ・ミュージックと日本の歌謡曲の間にも、唱歌や賛美歌などを通して深くて長いつながりがあったからだろう。

音楽が海を越えて、時を超えて、さまざまにつながっていくことを、美空ひばりの「リンゴ追分」は半世紀も前に証明していたのである。


・竹中労の文章の引用元は、竹中労著「完本 美空ひばり」 (ちくま文庫) です。
・ギャズ・メイオールの発言はTOWER RECORDS ONLINE「タワレコ独占インタビュー」(2013年08月28日)からの引用。

<関連コラム>
・美空ひばりが芸の道に生きると、あらためて決意した27歳の夏


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