「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

佐藤 輝 が最近聴いてるアルバム

佐藤 輝 の記事一覧

TAP the CHANGE

ストーンズの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」がパティ・スミスにもたらした衝撃

それはパティ・スミスが、まだ10代だった頃のことだ。 「唯一カッコ良かったのは黒人音楽だったわ。スモーキー・ロビンソン、ジェームズ・ブラウン、ジョン・コルトレー…

TAP the LIVE

「ビコーズ・ザ・ナイト」を作った2人による夢の共演

パティ・スミスにとって、最大のシングルヒットとなったのが「ビコーズ・ザ・ナイト」。 この曲を書いたブルース・スプリングスティーンとパティによるデュエットが実現し…

TAP the LIVE

伝説のライブハウス、CBGBとその最後を飾ったパティ・スミス

2006年10月15日、ニューヨークのイーストヴィレッジに構えるライブハウスの最期を見届けようと、多くの人たちが集まった。 そのライブハウスの名前は「CBGB」…

TAP the LIVE

大瀧詠一が“命がけ”で挑んだ一度限りのはっぴいえんど再結成

1985年の6月15日、旧国立競技場で開催された『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』。 日もすっかり暮れた頃、西日の差し込むステージに登場したの…

TAP the LIVE

炎に包まれて終わりを迎えたキャロルの衝撃的なラスト・コンサート

人気絶頂にあったロックバンドのキャロルが、解散を発表したのは1974年12月30日のことだった。 矢沢永吉、ジョニー大倉、内海利勝らによって1972年の6月に結…

TAP the LIVE

クラッシュ~「あんな夜は生涯に一、二度あるかないかだね」

「あの夜は、まさにパンクがブレイクした日だ」 クラッシュのジョー・ストラマーは、1977年5月9日のライブについて、そんな言葉を残している。 1977年、セック…

TAP the LIVE

「ヘイ・ジョー」で全英に名を轟かせたジミ・ヘンドリックスの初テレビ出演

1966年12月に〈トップ・オブ・ザ・ポップス〉に登場したジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスはすべてを変えた。(スティング) その日、テレビに映し出された黒…

TAP the STORY

ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズをつないだ中国の占い

ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズが初めて言葉を交わしたのは、1976年4月3日だといわれている。 ジョーが当時組んでいたバンド、101ers(ワン・オー・…

TAP the LIVE

グラミーの舞台でジョー・ストラマーに捧げられた「ロンドン・コーリング」

2002年12月22日、クラッシュのボーカル、ジョー・ストラマーが心臓発作により50歳で突如その生涯を終えた。検死で分かったのは生まれつき心臓に問題があり、いつ…

TAP the CHANGE

ジョー・ストラマーの人生を変えた「ノット・フェイド・アウェイ」の色褪せない魅力

1970年代後半のパンク・ブームの中から登場し、自身のバンド、ザ・クラッシュとともに、真剣に音楽で世界を変えようとした男、ジョー・ストラマー。 その生き方や音楽…

TAP the LIVE

ブリティッシュ・ロックが一堂に会したカンボジア難民救済コンサート

元ビートルズ4人のもとに、国連のワルトハイム事務総長から「カンボジア難民のために再結成コンサートをしてほしい」という依頼がきたのは、1979年頃のことだった。 …

TAP the STORY

ソウルの目覚め~ジェームス・ブラウンの27歳

まったく、1960年という年は、俺のそれまでの苦労がいっきに報われはじめた年だった。(『俺がJBだ!―ジェームズ・ブラウン自叙伝』より) ジェームス・ブラウンは…

3 / 2912345...>>

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ