オアシスやレディオヘッド、コールドプレイなど、90年代以降の英ロックバンドに多大な影響を与えた、80年代のイギリスを代表するバンドのひとつ、ザ・スミス。
彼らはシンセサイザーやダンス・ミュージックといった、当時流行していたサウンドに迎合しようとはしなかった。
モリッシーの5~60年代ポップスを彷彿とさせるシャウトしない歌い方と、文学的で陰鬱な歌詞は、サッチャー政権によって失業率が急増し、将来に希望を見いだせなくなった若者たちの心を掴んだ。
ジョニー・マーはいくつもギターを重ねたり、12弦ギターを使ったりすることで奥行きのあるサウンドを生み出し、バンドのカラーを築いていった。
ザ・スミスがデビューを果たしたのは1983年の5月。
結成から1年ほどでインディーズ・レーベルのラフ・トレードと契約を交わし、1stシングル「ハンド・イン・グローブ」をリリースする。
レコードは売れなかったものの、彼らの音楽は高く評価され、次につながる結果を残した。
10月31日にリリースされた2ndシングル「ジス・チャーミング・マン」は、徐々にチャートを上昇し、30位台まで上り詰める。
注目の新人バンドとなったザ・スミスに舞い込んだのが、「トップ・オブ・ザ・ポップス」への出演依頼だった。
イギリス人なら誰もが間違いなく知っている、テレビ音楽番組の聖杯。パンク・シーンからは鼻であしらわれたかもしれないが、70年代アーティストを見て育った僕ら世代にしてみれば、この番組に出られるというのはとんでもない大事件なのだ。(『ジョニー・マー』自伝より)
生放送当日の11月24日、収録スタジオに入った彼らは、本番前になるとメイク室へと案内された。すると、メイク担当らしき女性が4人を見て不思議そうな顔をした。
「あなたたちは?」
「ザ・スミスです」
「それ着て出るの?」
「そうだけど」
「番組に?」
「だからそうだってば」
他の出演者たちはみな、アーティストらしい派手な衣装を纏っていた。
一方のザ・スミスはというと、モリッシーは女物のブラウスにネックレスというやや際立った格好だったものの、残りの3人は無地のセーターに黒のジーンズという、この上なく地味な服装だった。
しかしそれは地元マンチェスターらしいスタイルであり、当時の若者や労働者の姿を映し出したものでもあった。
本番が終わるとバンドは急いで駅に向かい、電車に飛び乗った。このあとには、地元マンチェスターでのライヴが控えていたのだ。
会場のハシエンダに到着すると、そこは混沌とした状況になっていた。1800人の会場に何千人もの人たちが押し寄せ、会場の周りは中に入れなかった人たちで溢れかえっていた。
車で会場に近づくこともできなかったので、少し離れた場所で降りて歩いて向かうと、彼らに気づいた若者たちが一斉に集まり、もみくちゃにされてしまうのだった。
〈トップ・オブ・ザ・ポップス〉出演がいかに記憶に残る衝撃的な出来事だったか、ということを何人もの人間から言われたが、実際そのインパクトは大きかった。僕らが想像していたよりもはるかに。たった2分45秒間で、イギリス中のキッズが僕らを目にした。
流行りの音楽に迎合せず、きらびやかに着飾ることも拒んだ彼らは、同じ時代を生きる多くの若者たちの共感を呼び、時代を象徴するバンドへと急成長していくのだった。
引用元:
『ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽 』ジョニー・マー著/丸山京子訳(シンコーミュージック)