「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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日本のロカビリー・ブームにタイムスリップするかのような七五調の「ギザギザハートの子守唄」

チェッカーズは1980年のバンド結成以来、地元の久留米で着実に人気を獲得し、ヤマハが主催するアマチュア・バンドのライト・ミュージック・コンテスト(LMC)の全国…

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喜納昌吉の「ハイサイおじさん」に驚かされ、「細野さんはトロピカル・ダンディーだよ」と久保田麻琴に言われて気づいた自分の本質

1975年2月8日、細野晴臣は中断していた2枚目のソロ・アルバムのレコーディングを、東京・溜池のクラウン・スタジオで再び始めることになった。 このアルバムは前年…

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細野晴臣プロデュースの「ホルモン小唄」、大瀧詠一が仮歌を吹き込んだのにオクラ入りした理由

1976年の11月から12月にかけて、東京・赤坂にあるクラウン・スタジオでは小林旭のアルバムが制作中だった。同じレコード会社に所属していた縁もあって、細野晴臣が…

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細野晴臣の「ろっかばいまいべいびい」は初めから懐かしいスタンダードのようだった

1973年5月25日に発売された細野晴臣のファースト・ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』で、1曲目にアコースティック・ギターの弾き語りで収録されているの…

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細野晴臣はジミヘンの「ファイアー」と「紫の煙」を完コピして松本隆のオーデションに臨んだ

1968年の春、原宿駅前にあるビルの喫茶店にて どこで細野の噂を聞いたのだろうか、突然の電話で呼び出されたのは前日のことだ。 「慶応の松本という者ですが、ちょっ…

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石田長生が初めて日本語のブルースを感じたという西岡恭蔵の「プカプカ」

1971年の来日公演で体験したB.B.キングの強烈なチョーキングテクニックと、歌ったり泣いたりしているギターに圧倒されて、石田長生はブルース・ギタリストとして生…

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ヨーロッパでもアフリカでも歌われていた中村八大と永六輔のつくった「遠くへ行きたい」

日本テレビ系列で1970年から放送されている長寿番組が『遠くへ行きたい』、そのテーマソングとして今でも使われているのが「遠くへ行きたい」である。 NHKの音楽バ…

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ロックになったRCサクセションの「上を向いて歩こう」に驚いた作詞者の永六輔

1961年7月21日の夜、世界の音楽史に残るひとつの歌が東京・大手町にあったサンケイホールで誕生した。 永六輔作詞、中村八大作・編曲、19歳の坂本九が歌った 「…

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さだまさしにとって歌の原点となっ六・八コンビによる「生きるものの歌」

永六輔が歌手としてデビューしたのは1974年の夏のことだ。そのときに先行シングルとして発売されたのが「生きているということは」だった。 〈参照コラム 追悼・永六…

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「遠くへ行きたい」~わかりやすい話し言葉で人の気持ちを伝える歌を残した永六輔

20世紀はラジオやテレビといった放送メディアが発展したことや、レコードの製造や再生機の普及などによって、音楽の表現領域とその影響力が大きく拡がった。 そんな時代…

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ルイ・アームストロングが美空ひばりに残した手紙とレコード

美空ひばりの家には、大切に保存されていた古いジャズのLPレコードがあった。そこにはジャズの王様と言われたアーティスト、ルイ・アームストロング(愛称・サッチモ)の…

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まだ無名だった阿久悠が「黒い花びら」から受けた衝撃と作詞家への可能性

日本の音楽史に残るエポックメイキングな歌の「黒い花びら」は、1959年7月に公開されたロカビリー映画『青春を賭けろ』の挿入曲で、新人の水原弘が歌って第1回日本レ…

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