“キング・オブ・ロックンロール”
“史上最も成功したソロ・アーティスト”
貧しい片田舎出身の若者エルヴィス・プレスリーは、1950年代後半、わずか数年で誰も掴み得ないような成功と名声を手に入れた。
1960年代に入るとマネージャーの意向もあって俳優業に専念するが、1968年からは本人の希望もあってコンサート業を再開させる。
([TAP the LIVE]エルヴィス・プレスリー~7年ぶりのステージで復活を遂げた伝説のロックンロール・スター)
その後も1973年1月に、史上初となる衛星生中継でのコンサートを成功させるなど、エルヴィスは依然として第一線で活躍し続けていたが、この頃から少しずつ健康に支障をきたし始めた。
酒やタバコ、ドラッグといった類とはほとんど縁のなかったエルヴィスだが、好物のピーナッツバターとバナナのサンドイッチを始めとした高カロリーな食事が彼の身体を蝕んでいったのだ。
年間に約100本ものコンサートという過酷なスケジュールを消化していく中で、ストレスと過食症によって体重はみるみるうちに増えていった。かつて世界中の女性を魅了したロックンロール・スターの顔はすっかり丸くなってしまい、パフォーマンスにもムラが出るようになった。
1976年、この年もエルヴィスのパフォーマンスは精彩を欠いたまま1年が終わろうとしていた。
しかし、12月31日。ピッツバーグのシビック・アリーナで催されたニューイヤーズイヴ・ショウで、突如エルヴィスは全盛期に勝るとも劣らない素晴らしいパフォーマンスを披露する。
かつて世界中の若者をロックに目覚めさせたエネルギッシュで力強い歌声と、聴くものの心を揺さぶるような激しいビートで見事に復活し、当時さながらに観客を熱狂させた。
バックバンドでギターを弾いていたジョン・ウィルキンソンは「素晴らしいライブだった。彼のベスト・パフォーマンスの1つに入るだろう」と振り返っている。
その力の源はどこから湧いてきたのだろうか。
この日、観客席には付き合って1ヶ月になるガールフレンド、ジンジャー・オールデンがいた。彼女はまだ19歳でエルヴィスより22歳も年下だったが、2人は互いに惹かれ合い交際をスタートさせたばかりだった。
新たな恋人の存在がエルヴィスに生きる喜びを、そしてロックンロールを体現するのに必要な燃えさかるエネルギーを与えたのだ。
しかし2人の幸せな日々は長く続かなかった。1977年8月16日、ジンジャーはバスルームの床に倒れているエルヴィスを発見。すぐさま救急搬送されたが意識が戻ることはなかった。享年42。死因は不整脈とされている。
偉大なロックンロール・スターの死は世界中に衝撃を与えた。
翌日、世界中のレコード店にはエルヴィスの死を知って買い求める人たちが殺到し、たった1日で2000万枚ものレコードが売れた。この記録は一日で売り上げたレコード枚数世界一としてギネスに認定されている。
(このコラムは2014年12月30日に公開された記事に加筆修正を施したものです)
New Year’s Eve 1976
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