TAP the SONG
細野晴臣プロデュースの「ホルモン小唄」、大瀧詠一が仮歌を吹き込んだのにオクラ入りした理由
1976年の11月から12月にかけて、東京・赤坂にあるクラウン・スタジオでは小林旭のアルバムが制作中だった。同じレコード会社に所属していた縁もあって、細野晴臣が…

TAP the SONG
1976年の11月から12月にかけて、東京・赤坂にあるクラウン・スタジオでは小林旭のアルバムが制作中だった。同じレコード会社に所属していた縁もあって、細野晴臣が…

TAP the DAY
大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エ…

ミュージックソムリエ
2019年5月28日から6月3日までの日程で、アメリカ公演を終えたばかりの細野晴臣。各メディアがその盛況ぶりを伝えている。 5月29日のニューヨーク公演は即日完…

TAP the STORY
幼い頃から、晴臣少年は家にある重いSPレコードを選んで、自分で大きな蓄音機を回して聴くのが大好きだった。 蓄音機は母方の祖父にあたる中谷孝男のものだったが、晴臣…

Extra便
細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ…

TAP the SONG
1968年の春、原宿駅前にあるビルの喫茶店にて どこで細野の噂を聞いたのだろうか、突然の電話で呼び出されたのは前日のことだ。 「慶応の松本という者ですが、ちょっ…

TAP the SONG
1975年2月8日、細野晴臣は中断していた2枚目のソロ・アルバムのレコーディングを、東京・溜池のクラウン・スタジオで再び始めることになった。 このアルバムは前年…

TAP the SONG
沖縄民謡の第一人者だった喜納昌永の四男として生まれた喜納昌吉が、近所に住んでいた知り合いのおじさんを題材にして、高校生の頃に作ったとされている歌が「ハイサイおじ…

TAP the SONG
小坂忠が1968年に「ザ・フローラル」というバンドのヴォーカルとしてデビューした頃、日本にはまだ確たるロックシーンは存在していなかった。 加熱するGSブームの渦…

Extra便
小室等(六文銭)、高田渡、はっぴいえんど、細野晴臣、大瀧詠一、はちみつぱい、あがた森魚、南正人など、日本のフォークやロックの歴史における重要な礎を築いた名作の数…

Extra便
高田渡の没後10年を機に、あらためて彼の魅力に触れるトリビュート特集。マルチ弦楽器奏者として活躍する高田漣のロング・インタビュー後編は、彼が初めてギターを持った…

TAP the STORY
1972年、大瀧詠一のレコーディングしているスタジオへ高田渡が遊びに来たことがあった。 2人がアメリカのルーツ・ミュージックについて話し合っていると、それを聞い…
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