「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

ミュージックソムリエ

今もなお世界的に広がり続ける細野晴臣の人気の秘密と『HOCHONO HOUSE』

2019年5月28日から6月3日までの日程で、アメリカ公演を終えたばかりの細野晴臣。各メディアがその盛況ぶりを伝えている。 5月29日のニューヨーク公演は即日完…

TAP the SONG

細野晴臣プロデュースの「ホルモン小唄」、大瀧詠一が仮歌を吹き込んだのにオクラ入りした理由

1976年の11月から12月にかけて、東京・赤坂にあるクラウン・スタジオでは小林旭のアルバムが制作中だった。同じレコード会社に所属していた縁もあって、細野晴臣が…

TAP the DAY

大瀧詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日

大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エ…

TAP the SONG

細野晴臣の「ろっかばいまいべいびい」は初めから懐かしいスタンダードのようだった

1973年5月25日に発売された細野晴臣のファースト・ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』で、1曲目にアコースティック・ギターの弾き語りで収録されているの…

TAP the STORY

蓄音機を発明したエジソンにまでたどり着いた細野晴臣の音楽を探る旅

幼い頃から、晴臣少年は家にある重いSPレコードを選んで、自分で大きな蓄音機を回して聴くのが大好きだった。 蓄音機は母方の祖父にあたる中谷孝男のものだったが、晴臣…

Extra便

大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ…

TAP the SONG

細野晴臣はジミヘンの「ファイアー」と「紫の煙」を完コピして松本隆のオーデションに臨んだ

1968年の春、原宿駅前にあるビルの喫茶店にて どこで細野の噂を聞いたのだろうか、突然の電話で呼び出されたのは前日のことだ。 「慶応の松本という者ですが、ちょっ…

TAP the DAY

GSの「ザ・フローラル」に参加した後に「エイプリル・フール」解散を経て「はっぴいえんど」へ至る道

1968年2月に結成されたGSの「ザ・フローラル」は、日本のモンキーズ・ファンクラブが公募したバンドだった。彼らが所属するミュージカラー・レコードという会社から…

TAP the SONG

喜納昌吉の「ハイサイおじさん」に驚かされ、「細野さんはトロピカル・ダンディーだよ」と久保田麻琴に言われて気づいた自分の本質

1975年2月8日、細野晴臣は中断していた2枚目のソロ・アルバムのレコーディングを、東京・溜池のクラウン・スタジオで再び始めることになった。 このアルバムは前年…

TAP the SONG

久保田麻琴は沖縄生まれの”変な歌”「ハイサイおじさん」を紹介した不思議な男

沖縄民謡の第一人者だった喜納昌永の四男として生まれた喜納昌吉が、近所に住んでいた知り合いのおじさんを題材にして、高校生の頃に作ったとされている歌が「ハイサイおじ…

TAP the LIVE

大瀧詠一が“命がけ”で挑んだ一度限りのはっぴいえんど再結成

1985年の6月15日、旧国立競技場で開催された『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』。 日もすっかり暮れた頃、西日の差し込むステージに登場したの…

TAP the SONG

エイプリル・フールから独立した小坂忠の「しらけちまうぜ」は日本語ソウル・ミュージックの原点

小坂忠が1968年に「ザ・フローラル」というバンドのヴォーカルとしてデビューした頃、日本にはまだ確たるロックシーンは存在していなかった。 加熱するGSブームの渦…

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