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TAP the POP

佐藤 剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。
現在はRomancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載中。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe

佐藤 剛 が最近聴いてるアルバム

佐藤 剛 の記事一覧

TAP the SONG

ジョン・レノンの直感がもたらしたレコーディング技術によって完成した「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

1966年の9月初旬からビートルズのメンバーはソロ・プロジェクトに挑戦しはじめたので、滅多に顔をあわせることがなかった。 しかし再集結して新しいアルバムのレコー…

TAP the DAY

ジョン・レノンの「イマジン」を時間と手間をかけて育んでいった人たち

ジョン・レノンの代表曲といえば、今ではほとんど条件反射的に「イマジン」が取り上げられる。 だが、この曲が他の作品よりも高く評価されるようになったのは、1980年…

TAP the STORY

ある夜、夢のなかで聴こえていた曲

U2のボノが27歳の誕生日を迎えてから1か月が過ぎた、1987年6月のことだった。 3月に発表された新作『ヨシュア・トゥリー(The Joshua Tree)』…

Extra便

追悼・黒沢健一~純度の高いポップスを生みだして希有なメロディメーカーとの評価を得た音楽家

1968年に茨城県日立市に生まれた黒沢健一が、生涯を捧げるポップスに目覚めたのは幼稚園の頃だった。 彼には近くに住んでいる二人の従兄弟がいて、いつも家によく遊び…

TAP the STORY

エルヴィス、キャッシュ、パーキンス、ルイスによる奇跡のセッション「ミリオンダラー・カルテット」

世界中にロックンロールが広まったエポック・メイキングな1956年も、そろそろ終わりが近づいてきた12月4日。 いくつもの偶然が重なりあったことから、音楽史に残る…

Extra便

【追悼】ジェイク・H・コンセプション~ジャンルの壁を超えて日本の音楽史に数多の名曲を残した唯一無二のサックス奏者

歌謡曲が全盛だった1970年代から80年代にかけて、ジェイク・H・コンセプションは、サックスがフィーチャーされたヒット曲の過半数を、ひとりで吹いていたのではない…

Extra便

追悼・岡本おさみ② 吉田拓郎の歌う力を得て生まれた「花嫁になる君に」と「ハイライト」

岡本おさみは大学を卒業してから数ヶ月、高校の教師をやったが耐えられずに退職し、ラジオ番組の構成を手がける仕事についた。 最初に携わったのは1966年に始まってま…

TAP the SONG

追悼・岡本おさみ① 詩集『ビートルズが教えてくれた』から生まれた森進一の「襟裳岬」

ビクターレコードの創立50周年を記念する企画で、フォークソング・ブームを巻き起こしていたシンガー・ソングライターの吉田拓郎と作詞家の岡本おさみのコンビよって、若…

TAP the DAY

高額所得者に対するあまりにも高い税率を諷刺した、ジョージ・ハリスンの「タックスマン」

ビートルズのジョージ・ハリスンが、英国の税金制度に疑問を持ったのは20代の半ばにさしかかった頃のことだ。1965年に多大な外貨を獲得した働きによって、ビートルズ…

Extra便

ジョージ・ハリスンが「ルーシー」という女性名をつけた伝説のギターの身代金

ビンテージギターの第一人者として知られるノーマン・ハリスが書き下ろした自伝には、エリック・クラプトンがビートルズの「While My Guitar Gently…

TAP the STORY

27歳のエルトン・ジョンと34歳のジョン・レノン、マジソン・スクエア・ガーデンでの共演

1974年の3月25日に27歳になったエルトン・ジョンは、その年11月28日に行なわれたマジソン・スクエア・ガーデンでのコンサートについて、こう振り返っている。…

TAP the SONG

T・レックスの初来日公演時に日本でレコーディングされた「20センチュリー・ボーイ」

1968年の秋から東芝音楽工業の洋楽部に配属された新入社員の石坂敬一は、アシスタント・ディレクターとして仕事を始めたとき、まずは印象に残る日本語のタイトル、邦題…

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